アドバイザー活動紹介

人はどうすれば幸せになれるのか 幸福学を活用したまちづくりの姿とは

近年、「ウェルビーイング(well-being)」という言葉が注目を集めている。これは「身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること」を指す言葉で、「幸福」という訳語が当てられることも多い。この「幸福」という観点から、まちづくりへの提言を行っているのが、日本における「幸福学(well-being study)」研究の第一人者、慶應義塾大学大学院 教授の前野 隆司氏だ。人間が幸福に生きるための条件とは何か、どうすれば幸せなまちづくりを実践できるのか。前野氏に話を聞いた。

長続きする「幸せ」と長続きしない「幸せ」

1948年、WHO(世界保健機関)は憲章の中で、健康を「身体面・精神面・社会面のすべてにおいて良好な状態(well-being)にあること」と定義。以来、欧米では医学や心理学の領域を中心に、ウェルビーイングの研究が進められてきた。
「1980年代以降、『幸せな生き方をしていると、健康と長寿に恵まれ、生産性や創造性も高まる』というエビデンスの蓄積が進みました。近年、『ウェルビーイング』という言葉が注目され始めた背景には、こうした研究成果に対する一般の認識の広まりがあります」と、前野氏は語る。

慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科・教授 前野 隆司氏

東京工業大学卒業、同大学院修士課程修了。ヒューマンインタフェースのデザインから、ロボットのデザイン、地域社会のデザイン、幸福学、感動学、共感学、イノベーション教育、コミュニティデザインまで、幅広い分野で研究活動を行っている

人間は、どうすれば幸せになれるのか。それは有史以来、人類を悩ませてきた普遍的な問いであった。なかでも「お金や地位は人を幸せにするのか」という命題は、宗教や哲学、文学における不動のテーマであったといえるだろう。
この点について、興味深い研究成果を発表したのが、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン(米国)である。人間が感じる幸福の感情は、あるレベルまでは収入に比例して増えていく。だが、収入が一定水準を超えると、幸福度は上昇しなくなる。つまり、年収がある水準を超えると、「収入と幸福感とは相関しない」という事実が、研究によって明らかになったのである。
にもかかわらず、人間は「お金があればあるほど幸せになれる」という幻想に踊らされ、「もっとお金が欲しい」と欲望を肥大させてしまいがちだ。それは、「経済成長や文明の進歩・発展こそが善」という現代社会の価値観によるところが大きい、と前野氏は指摘する。
それでは、人間を本当に幸せにするものとは何なのか。人間の欲求を満たす「財」には、周囲との比較で価値が決まる「地位財」(収入や物、社会的地位など)と、他人との比較を前提としない「非地位財」(自由や愛情、感謝、社会への帰属意識など)の2つがある。そして、「地位財」による幸せは長続きしないが、「非地位財」による幸せは長続きする傾向があるという。
「例えば、人間はお金や地位を手に入れても、すぐに慣れてしまい、『もっと欲しい』と思うようになります。地位財による幸せは欲望充足型の幸せなので、限界効用逓減の法則(保有量の増加に伴ってその効用が低下していくという法則)が働いて、幸福感が長続きしないのです。一方、愛情や感謝で満たされた人が、その状態に慣れてしまって、何も感じなくなるということはありません。こちらは限界効用逓減の法則が働かないので、長続きするわけです」

4つの因子を満たせば、人は誰でも幸せになれる

人間は、どのようなときに幸せを感じるのか。それを明らかにするために、前野氏の研究グループはアンケート調査を行い、コンピュータによる因子分析を実施。その結果、幸福感と深い相関関係がある、4つの因子の存在が浮かび上がった。
1つ目が、「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)だ。夢や目標ややりがいを持って、「本当になりたい自分」をめざして成長していくとき、人間は幸せを感じるという。
「ただし、“やらされ感”の強い目標ではなく、ワクワクする目標でなければ幸せにはなれません。企業の場合は、『社員一人ひとりが会社の理念と一致した目標を持ち、それを自分事と捉えて、やりがいを感じて働いている』というのが理想です。会社の部品となって働くのではなく、人類の一員として、本当にやりたいこと、やるべきだと思えることをして生きていく。コロナ禍での自宅待機中に、『自分が本当にやりたいことって何だろう』と、あらためて考えた人は多いと思います。どうしたらもっとワクワクしながら、自分の仕事に取り組めるのか。この機会に、ぜひ考えていただきたいと思います」
2つ目は、「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)である。多様な人とつながりを持ち、人を喜ばせたり、人に親切にしたり、感謝したりすることが幸せをもたらす、と前野氏は言う。
「要は、『人を幸せにしようとすれば、自分も幸せになる』わけで、身近な人から世界中の人々に至るまで、感謝が広くて深い人ほど幸せを感じやすい。たとえ苦手な人がいても、先入観を取り払えば、相手のいいところや素敵なところが見えてくる。まずはそれを見つけ出して感謝すること。それが幸せになる第一歩です」
3つ目は、「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)である。いつも前向きで、「自分のいいところも悪いところも受け入れる」という自己受容ができており、「どんなことがあっても何とかなるだろう」と感じる楽観的な人は、幸せになりやすいという。
そして最後の4つ目は、「ありのままに」因子(独立と自分らしさの因子)。人目を気にせず、自分らしく生きていける人は、そうでない人と比べて幸福感を覚えやすい傾向がある。
「他人と自分を比べすぎず、自分軸をしっかり持って生きる人は幸せです。逆に、自分軸がぐらついていると、人と比べて『自分はダメだ』と思い込み、幸福度が低くなりがちです」と前野氏は言う。人目を気にしない人は、他人との比較によらない非地位財を大切にする傾向があるため、長続きする幸せを手に入れやすいのだという。

幸せの4つの因子
前野氏の研究グループがコンピュータ解析により導き出した「幸せの4つの因子」。この4つの因子を少しでも高めていくことが幸せにつながるという

自己実現と成長、つながりと感謝、前向きと楽観、独立と自分らしさ。これらの4つの因子を満たすことで、人は幸せになれる――いわば“幸福感の素”を明らかにした前野氏の研究は、地域再生やまちづくりにも大きな示唆を与えるものとなりつつある。
「その町に住むだけで、幸せの因子がどんどん満たされていく。そんな町をつくるためには、『どうしたら4つの因子が満たせるか』と考えればいい。それが、ウェルビーイングなまちづくりにつながるのではないかと思います」

住民が幸福になる「ウェルビーイングなまちづくり」

こうした事例の1つに、港区の「芝の家」がある。これは、港区芝地区総合支所と慶應義塾大学の協働による「地域をつなぐ!交流の場づくりプロジェクト」の拠点として、2008年にスタートしたものだ。
ビルの一階を改装した「芝の家」には、家の中と外とをつなぐ「縁側」のような空間が設けられた。運営者側からの「仕掛け」は一切なし。ただ、お年寄りが茶飲み話に花を咲かせ、子供たちが放課後「ただいま」といって上がっていく。そうこうするうち、ここに集まる人たちの間で、「今度の祭りで〇〇をやらないか」という話が持ち上がったりする。幸せの4因子の1つである「やってみよう」因子が、自然に芽吹くのである。

芝の家
慶應義塾大学と港区芝地区総合支所が協働で運営する「芝の家」。昭和30年代ごろの人と人とのつながりや支え合いを再生し、子供や高齢者が安心して暮らせる地域づくりをめざしている

それだけではない。ある老婦人が手作りの料理を振る舞ったのをきっかけに、定期的に、皆で料理を持ち寄って会食するようになった。「今日は△△のおばあちゃん、来ていないね」という会話がきっかけとなり、風邪で寝込んでいるお年寄りに食事の差し入れをするなど、見守り合いのきっかけにもなっている。
昭和までの日本には普通にあり、都市化とともに消えていったご近所付き合い。それが、「芝の家」を拠点として少しずつ復活し、地域の助け合いや多世代共生のかたちが生まれていった。運営者側があえて「何もしない」ことが、利用者の自発性を促し、幸せの4因子が満たされるような空間へと変わっていったのである。
「スマートシティもお洒落にデザインするばかりでなく、一見ムダなようでも、住民が自然に集い、つながりが生まれるような場所を作るべきだと思います。日本中にウェルビーイング・スペースが存在するような社会にしていくことが、幸せなスマートシティをつくるカギだと思うのです」
地方でも、前野氏の考えに共鳴したさまざまな取り組みが始まっている。
宮崎県児湯郡の新富町では、旧観光協会を法人化して「地域商社こゆ財団」を設立。幸せの4因子に基づいてコア・バリューを設定し、まちおこしに取り組んでいる。その一環として同町では、ある農家が苦心して作り上げた1粒1000円の「楊貴妃ライチ」などの新富のライチを新たな特産品として展開。さらに、「幸せな起業家育成塾」を開講し、地元の事業者の育成にも努めている。地域のつながりとやりがいを生み出すことで、住民の幸福感を高め、移住者の増加と新産業の創出につなげようとの狙いだ。

photo by Waki Hamatsu
鮮やかな赤色、真っ白に透き通った果肉、あふれる果汁、さわやかな余韻を残す甘みといった特長を兼ね備えた新富町の特産品「楊貴妃ライチ」。1本の木からわずかしか収穫できず、ゴルフボールよりも一回り大きい1粒50g以上のライチのみを厳選しているという

どんな取り組みや活動も、幸福感というスパイスを加えるだけで、想像を超えたプラスのサイクルが生まれる。ここで取り上げた例は、ウェルビーイングという視点がもたらす無限の可能性を示唆しているといえそうだ。

サステナブル・スマートシティの日本モデルを世界に発信したい

今、コロナ禍をきっかけに、世界規模で価値観のパラダイムシフトが進行しつつある。それは、従来のまちづくりのあり方を根本から問い直す好機でもあるという。
「戦後の日本はアメリカの影響下にあり、『経済競争に勝利することが大事』『お金で豊かになることが幸せだ』という価値観が幅を利かせました。しかし、『武士は食わねど高楊枝』という言葉があるように、江戸時代の日本人は『金儲け、はしたない』という感覚を持っていたのです。当時の日本には、富を独占せず、和を大切にする、成熟したサステナブルな社会が存在していた。その精神性は、今も日本人の中に生きているような気がします。つまり我々は、幸せになれる素地を生まれながらにして持っているのです」
地球全体を覆う新型コロナウイルスの脅威、環境破壊、貧困の問題――。人類が共通の危機にさらされている今、自分だけの「スマート」を追求する生き方は、地位財による分断を助長しかねない。今一度、「スマート(=賢い)」という言葉本来の意味に立ち返り、「スマートシティ」の語義を読み直す必要があると前野氏は指摘する。
「『スマートシティとは、真に賢い人たちが、主体性とやりがい、利他的な精神をもって、よりよい社会をめざす場所』と捉えたいですね。賢人が考えるからサステナブルになるわけで、本気でサステナブルを考えるなら真のスマートをめざさざるをえない。皆が助け合うサステナブルでスマートな社会に、もう一度戻していく必要があると思います」
そのためには、募金やボランティアなど、多様な社会貢献ができる仕組みを作ることも必要だと前野氏。自分自身も自治体や企業と協力しながら、幸せな社会をつくるために生きていきたいという。
「サステナブル・スマートシティ・パートナー・プログラムのコンソーシアムに集まる志のある人たちと共に、熱い心で純粋なメッセージを世界に発信していきたいと思います。我々は、みんなで力を合わせて、行き過ぎた格差や貧困、環境破壊の問題を解決し、本気で幸せな世界を創造していくのだ――と」