人を中心にした“まちづくり”

超高齢社会「以後」の地域経営モデル
【前編】まちづくりの新しいOS

ぐにゃりのまち【前編】まちづくりの新しいOS

【写真】大牟田市動物園のラマ。人もまた動物である。

目次

Ⅰ はじめに

まちづくりの未来形

 人口減少と高齢化により、地域の結びつきが弱くなり、家族の力が弱まり、企業が撤退し、さらには自治体職員も減ってゆく…。超高齢社会の悲観的な未来像とまちづくりの困難さについては、多くの人が共有しているだろうし、それに向けて「新しい/これからのまちづくりを!」といった類の話も枚挙に暇がない。問題は、それらの大半がスローガンに留まってしまうことだ。
 例えば、総務省の自治体戦略2040構想研究会においても、「新しい公共私の協力関係」を構築しようという提言がされている(※1)。では「新しい公共私の協力関係」とはなんだろう? 提言の中では、地域で活動する団体や家族はこれまで以上に活動範囲を広げ、自治体はプラットフォームビルダーとして、それをつなぎ、エンパワーメントする存在となることが求められている…とここまで読んできて、「めざすべき理想はわかった。しかしいったいどうすればいいのだ?」と考える人が多いはずだ。それは当然で、新しいまちづくりを考えるためには、新しい脳みそいわばOSが必要だ。
 ここで新しいOSをインストールするヒントとして紹介したいのが、福岡県大牟田市の一般社団法人大牟田未来共創センター(愛称ポニポニ)の取組みだ。彼らのユニークな取組みの本質は、「事例」として実際の取り組みを説明するだけでは、分からない。それを動かしている新しいOSともいうべき行動原理を伝えることで、全3回の連載の第1回としたい。

大牟田未来共創センター(愛称:ポニポニ)とは

 ポニポニは、大牟田に暮らす誰もが、その人らしく生きることに貢献するために、様々な人々や組織と協力しながらまちづくりを進める一般社団法人で、2019年4月に設立された。大牟田が認知症ケアにおいて培ってきた「パーソンセンタード」という人間観を法人の理念に位置づけ、共創を軸に、次の時代の地域経営の一翼を担うことをめざしている。組織は、理事4人、職員4名。大牟田市、NTT西日本、NTTと連携して事業を進めている。

ポニポニの活動は、大牟田の町の様々な場面に及んでいる。例えば、参加者がお互いに話をする地域サロンにして、企業の新規事業開発のリビングラボでもある「わくわく人生サロン」。地域包括支援センターに配置されている「生活支援コーディネーターや共創サポーターの支援業務」。市営住宅の建て替えに伴う生活支援施設の検討をきっかけに、庁内外から横断的に関係者が集う会議体「〈住まい〉から〈住まう〉の保障へ」。地域の中学校での授業。8つに分かれていた計画を一本化する「健康福祉総合計画の策定」。独自の人間観(パーソンセンタード)について考えを深めるための有識者や研究者との対話「文化会議」。企業の新規事業担当者を対象にイノベーティブな思考への転換を促す「パーソンセンタードデザイン研修」。その実施方法も、行政や民間企業からの委託、独自に実施など様々だ。

一見バラバラな印象を与えるかもしれない。「これは保健福祉/これは産業振興」とカテゴライズした方が理解しやすいという人も多いだろう。だが、そうした「既存の枠組みで捉えること」を、ここではむしろ避けようとしている。というのも、「地域社会の新たな前提、新しい未来像」に対応しようとするポニポニの実践は、旧パラダイムの事業領域や業務概念では捉えることが難しいからである。だからといって無秩序で行き当たりばったり、というわけでもない。具体的な実践を貫く考え方を、「ポニポニの動き方」として4つの特徴で紹介してみたい。

Ⅱ 大牟田未来共創センター(愛称:ポニポニ)のスタイル

① 関わり方のスタンス:隣で一緒に考える

人と人とが関わるとき、そこではある役割が念頭に置かれていることが多い。例えば看護や福祉の場面で「専門職」と「当事者」、サービス開発の場面で「開発者」と「ユーザー」、教育の場面で「先生」と「生徒」と呼び分けられるようなシーンだ。ほとんどの場合、人はサービスの提供者側と受け手側へと分けられ、さらにそこでの受け手は、ある既存の属性や役割をあてがわれた「対象者」として客体化されている。しかしこの「客体化」こそ、乗り越えなければならない大問題だとポニポニは考えている。人を施策やサービスの客体としてではなく、まちに暮らす主体として捉え直すこと。それがポニポニが実践していることだ。

一般に、強い立場にある専門家が、本人によかれと思って一方的にサービスを行ういわゆるパターナリズムは、「自分のことを他人が決める」関わり方として、今では批判的に乗り越えられるべきものとされている。反対に、本人にやりたいこと欲しいもののオーダーをすべて尋ねる「自分のことは自分で決める」当事者主権という考え方も試みられてきた。
 しかし人間は本当に、自分自身が欲していることを全て自分で把握し表現できる存在だろうか。本来は、自由意思を持つ確固たる個人ではなく、もっと言葉にできない潜在的な欲求を抱え、関わり合う人によってやりたいことや欲しいものが生まれたり変化したりする、ゆらゆらと可変的な存在なのではないか。だからポニポニは、第3の道である「隣で一緒に考える人」としてつきあおうとする。例えば、「わくわく人生サロン」の場では、参加者が話す内容を一方的にスタッフが「評価」するのではなく、またケア的な視点でスタッフが「傾聴」するのでもなく、お互いに自分のことを話すことで、自分が受け入れられているという安心感が生まれ、ここでは「自分の話をしてもいい/してみたい」という感覚が培われる。この感覚が共有されると、不思議と自分の境界があいまいになってくる。相手の楽しいにつられて自分も楽しくなったり、相手の大切なものが、自分も大切に思えてきたり。ポニポニのメンバーは、「その方がおもしろいし、結果的に様々なことがうまくいくようだ」と経験から感じている。

② チームづくり:役割から解放され新たなコミットメントが生まれる

 こうした関わり方のスタンスは、事業を共に進めるステークホルダーとの関係づくりにおいても、独自のアプローチとなって表れる。
 ポニポニは前述のとおり、様々なプロジェクトに参加している。当然、行政や企業など様々な組織の人たちと会議を持つが、よく聞かれるのが「いったいなんの話し合いなのか、どこに向かっているのか分からなかった」という声だ。実際に起きていることは、例えばこのようなことだ。市営住宅に関わる会議に、管理会社の社員や生活支援コーディネーター、市役所職員、ポニポニのメンバーが参加している。出席者は、仕事の一環として参加しているのだが、だからといって明確な役割をあらかじめ持たされているわけではない。この日はある入居者にどう対応するかが話に上がっては、違う話に移り…を繰り返していた。熱心にみんなが話をするうちに、やがて生活支援コーディネーターから「さきほどの入居者さんはうちが担当します」と手が挙がる。「では、この場面ではうちがサポートしますね」と他から協力の申し出があり、最終的にはやることが決まっていく。場合によっては誰も手を挙げないときもあるが、それはそれで「やらない自由」として尊重される。
 ある特定の課題を解決すべく役割分担と進捗共有をする会議を「仕事の会議」とするならば、この会議はそれとは異なる。ポニポニ理事・原口悠さんはこう解説する。「とにかく大事なことだけを握りしめて、目的や役割を決めずに、ぐるぐる話を回します(笑)。わたしたちは“場があたたまる”という言い方をしますが、目の前を話題が通り過ぎていくうちに、互いの個性が見えて場の信頼感が醸成されてくると、自ずとやってみたいこと、やってみたい人が出てくる。すると周りの人はうずうずして協力をしたくなります。その状態になると、なんというか人が“ピカピカ輝いて”見えるのです」。参加者の主体性を引き出したかのように見えるが、そう目的的な感じでもない。かねてからやりたかったことの実現でなくとも、そのチームだから、その場があるからやってみたくなった「能動とも受動とも違う」動機があると考えている(※2)。

③ 事業の進め方:アプローチの方法をたえず問い直す

こうした会議やチームづくりの話を聞くと、「はたしてどうやって事業を進めているのか?」と訝しく思われるかもしれない。こと行政や企業の委託事業では、あらかじめ決められた仕様に基づく業務遂行が当たり前のように求められるからだ。
 その点ポニポニは、言葉や計画に縛られないプロジェクト運営を行っている。「目標を言葉にし」「計画を立てて」物事を進めるといっても、現場はどんどん変化する。言葉や計画は、ともすると人々を縛り、本来は最も大切にするべき関わる人たちの変化や気持ちを、簡単に手段にしてしまう。そこでは、めざすべきビジョンを達成する手段であるはずの計画遂行が、目的とすり替わる。原口さんはこう話す。「あらかじめやると決めたことをやり遂げることに関心がありません。といっても無秩序なわけではないのです。方法は、大事な事やめざしていることの求めに応じようとして導き出されるもので、その都度最適なものを採用しているからです。」そのためにポニポニは、人間が暮らしの主体となっているビジョンに適った、統合的で包括的な課題設定にこだわろうとする。
例えば「交通」における政策課題について考えてみよう。これまでの“役所の目線”であれば「交通」を担当する部署が、バスなどの公共交通機関がきちんと機能しているか検討するかもしれない。しかしひとたび“暮らす人の目線”で考えると、「バス停まで歩くための身体機能は十分か」「バスに乗って行きたいお店があるか」「一緒に買物をしたい友だちはいるか」など、問題はとたんに多様な様相を帯び始める。単純だった「交通」という課題は、本人を中心に置くともっと統合的で包括的な「移動」の視点から再編集される。解決のためには、当然様々な部署やステークホルダーとつながり、自らの役割をたえず問い直し、模索する必要がある。

このように、専門分化した従来の領域に人を合わせようとする(対象化・客体化する)のではなく、人に適ったかたちへ再編集しようとすると、役割そのものが解除され再編成が始まる。ここで軸になるのは、人を暮らしの主体とするまちづくりのビジョンである。

④ 新しい公共私の協力関係:変わる必要があるのは、行政や企業や地域である

ポニポニのこのようなスタイルは、柔軟性がある民間ならではのもので、行政や公益性の高い事業者には難しいと考える人もいるかもしれない。しかしどうだろう。「民間=柔らかい」「行政=固い」というこれまでの役割分担のままでは、どれだけ官民が連携できたとしても、サービス対象者を客体化するあり方から抜け出せない。人が客体化されず、暮らしの主体となるまちづくりにおいて、質的に変わる必要があるのは、行政や企業や地域の側なのだから。
こうした問題意識から、ポニポニは、ステークホルダーにこれまでの役割から抜け出し、新しい関わり方を促そうとする。例えば市からの委託事業である「健康福祉総合計画の策定業務」では、担当の行政職員がどうしたら自分事として業務に取り組めるかを重視している。決められたことを実行するという行政の仕事のありかたを、内側から柔らかくしようという試みだ。
これからも分かる通り、ポニポニは単なる委託業者ではないし、第3セクターでも官設民営の組織でもない。地域の人を主体としたまちづくりを進める団体が、自治体や企業とどう関係をつくっていけばいいか? 現場では新しい公共私の関係が模索されている。
このスタンスを持続的にするために、ポニポニは自らの自由を確保することにこだわる。まず経済的には、2019年度の事業費は、大牟田市からの委託1割、国からの委託1割、民間企業から8割という財務バランスで、経済的な自立に務めている。特定の組織から利用されてしまわないよう、経営陣は強い意識を持つ。
さらに組織の精神的な自由も大切にしている。内部の会議でも話はぐるぐると回り、内発的なモチベーション形成に時間を割きながら、個性や人柄に適った仕事ができるよう試行錯誤が行われている。ステークホルダーとポニポニとの関わり方は、ポニポニ内部のスタッフ間の関わり方と相似形なのだ。

Ⅲ パーソンセンタードという人間観

人に合わせて、地域社会が柔らかくなっていく。そんなまちづくりの行動原理は、まさに「人間」をめぐる考え方にあるはずだ。「ポニポニの実践で大事にしているのは、『パーソンセンタード』という人間観です」と理事の山内泰さんは言う。「それは、人間を、言葉や数値では規定できない、不確かで曖昧で、ぐにゃりとした存在と捉える、とても豊かな人間観です。」
パーソンセンタードは、もともと認知症ケアにおける「パーソンセンタード・ケア」という用語に由来している。大牟田市では20年来、行政と民間事業者と市民がともに「認知症と共に暮らすまち」に向けた取り組みを行ってきており、そこで培われた人間観を、福祉の分野に留まらず、普遍的な文脈で捉えなおそうとしているのが、ポニポニだ。だからパーソンセンタードは、外国の思想の輸入でもなく、先人の教えに盲従するものでもない。常に問い直されるもので、有識者と対話しながら人間観を深める「ポニポニ文化会議」も行われている。

現在のところ、パーソンセンタードは、次のように説明される。「人間とはどのような状態であっても、常に潜在能力に満ちた存在で、その可能性はひとりではなく、環境やつながりの中で発揮される。本人のニーズや意思は、自覚的な意思表明からだけでなく、人生で培ってきた習慣や無意識のふるまいからも豊かに表現される」。これまで考えられてきた『理性的で自律的な主体』としての人間とは、大きく異なる像である。
近代社会では、人の動物的な面を抑圧し、理性的に自己管理をする自律にこそ「人間性」を見出してきた。しかし老いが進むほど、この「人間性」を保つことは難しく、その状況に陥ることを、誰もが尊厳を失った状態だと恐れる。その状況に陥らないように病気の予防と健康の増進に励む。だがこの「人間性」は、超高齢社会「以後」に耐えうる人間観なのだろうか。
 パーソンセンタードは、生まれてから死ぬまで、どんな状態であっても、その人は変わらずその人であり、常に大切にされる存在だと考える。それは、近代が想定する「人間性」とは違って、人が常に動物でも人間でもありうることに豊かさを見出す人間観だ。「わたしたちなりに『人間とは何か』について考えようとしています。そして、この人間観の転換こそが、まさに超高齢社会「以後」のまちづくりで求められる質的転換に対応するものだと考えているのです」と山内さんは話す。大牟田でのポニポニの実践においては、パーソンセンタードが、新しいまちづくりのOSなのだ。(つづく)

(※1)「自治体戦略2040構想研究会 第二次報告〜人口減少下において満足度の高い人生と人間を尊重する社会をどう構築するか〜」(自体戦略2040構想研究会、総務省、H30年)
(※2)能動でも受動でもないありかたは、國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院、2017)で論じられており、示唆に富む。國分氏は、ポ二ポ二文化会議にも協力いただいている。