人を中心にした“まちづくり”

分析するだけでなく「意思決定」の力をつける。滋賀大学データサイエンス学部が挑む教育

世の中における「データ」の重要性が増す中で、大学でもデータ分析・活用に関する学問「データサイエンス」の教育を行う動きが活発化しています。その先駆者となるのが滋賀大学。日本初のデータサイエンス学部を2017年に創設以来、多くの企業と連携して、企業の持つ“実データ”に基づいた演習を行うカリキュラムを展開しています。卒業生の中には、在学中にデータ分析のスタートアップを創業した人も。教員も多彩で、日本のデータサイエンティストの第一人者と言われる河本薫教授も2018年から就任。この記事では、河本教授と河本ゼミの在学生・卒業生の声をもとに、滋賀大学データサイエンス学部の教育を深掘りします。

目次

滋賀大学のデータサイエンス学部が「意思決定」の能力を育てようとする理由

データサイエンス学部のある彦根城に隣接した滋賀大学の彦根キャンパス

近年、IT化などによって大量のデータ(ビッグデータ)が手に入るようになり、まちづくりやビジネスなど、あらゆる場面でデータの分析と利活用が重視されるようになりました。このことから、大学では「データサイエンス」を教育に取り入れ、データを扱う技術を身につけた人材「データサイエンティスト」の輩出に力を注ぐ動きが活発化しています。データサイエンスとは、まさにデータの分析・活用に関する学問。統計学や数学などデータ分析に直結するものから、機械学習などデータ分析をするためのプログラム開発も含まれます。

この先駆けとして、2017年に日本初のデータサイエンス学部を創設したのが滋賀大学です。2016年に文部科学省の定める「数理・データサイエンス・AI教育強化拠点コンソーシアム」拠点校6校のうちの1校になり、その翌年に同学部を創設。データが“主役”の学部になるとあって、この領域に携わってきた多くの教員・研究者がやってきました。河本薫教授もその内の1人。かつて大阪ガスでデータサイエンティストとして活躍し、「日経情報ストラテジー」が選ぶ「データサイエンス・オブ・ザ・イヤー」も受賞。第一人者と呼ぶにふさわしい経歴を残してきた方が、2018年に現職となりました。

滋賀大学 データサイエンス学部 河本薫教授

しかしなぜ、滋賀大学がデータ領域の教育に力を入れ始めたのでしょうか。河本教授は学部創設時のメンバーではありませんが、自身が知る学部設立の経緯をこう説明してくれました。

「2010年代中盤から理系重視の流れが強まってきましたが、滋賀大学は当時、教育学部と経済学部のみで、理系学部がない学部構成でした。その中で突然、理学部や工学部を作るより、これまで滋賀大学が培ってきた学問と親和性のある理系学部にしようと、データサイエンスが浮上しました。なぜなら経済学では統計や経済指標の分析など、データを使った分析が長く行われていたため、データサイエンスとの親和性が高かったのです」

河本教授の研究室があるデータサイエンス学部棟

そんな滋賀大学のデータサイエンス学部がめざす教育には確かなコンセプトがあります。まず一つは、データを分析するだけの人材を育てるのではなく、そのデータ分析を「意思決定」に活かせる人材の育成です。「企業で求められる人材とは、データ分析によって企業に“役立つ”ことです。役立つとは、わかりやすく言えば利益を生むこと。データを分析する、いわゆる数字を“解く”だけでは“役立つ”まで行きません」と河本教授は話します。だからこそ、「解く」と「役立つ」をブリッジできる人材を育成するのが重要。つまり、解いた数字をもとに、企業の利益を生む施策を判断するといった意思決定が求められるのです。

もう一つ、同学部では「文理融合型人材の育成」も掲げています。データサイエンスは理系分野ですが、それは「解く」という部分に限った話。その前の「課題を発見する」という点では、文系の知識も求められると河本教授。「社会に出ると、最初から問題がはっきりしていることはほとんどありません。そもそも何が問題なのかを考え、それに対してデータを活用することが求められます。問題を見つけるには、社会情勢や歴史、国や地域の文化・慣習など、視野を広く持つことが重要で、こういった作業には文系的な知識が必要になります。文系・理系という区分けは個人的に好きではありませんが、あえて言うなら、問題を見つけるには文系、問題を解くには理系の力が大切になるのです」

「自分の数字で世界が動く」ことを知った、アメリカでの原体験

河本教授の考えの背景には、先述した企業人としての経験があります。1991年に大阪ガスに入社し、転機は1998年。2年間、アメリカのローレンスバークレー国立研究所でエネルギー消費データの分析に従事すると、データや数字が世界を変えることを実感したと言います。

1998年ごろは、ちょうどインターネットが普及しはじめた時期。世界の電力消費の半分がIT関連になるのではと言われ、地球温暖化への影響が懸念されていました。そこで河本教授は、世界全体の消費電力においてIT関連が占める割合と、その割合の将来見通しをデータで分析。このような数字が算出されたのは世界で初めてのことで、この分析結果はIPCC*の報告書に掲載されたのです。

*IPCC(気候変動に関する政府間パネル)とは、国際的に気候変動対策を話し合う政府間組織で、現在190カ国以上の国と地域が参加している。

「私が出した分析結果は、世界中の新聞に掲載されました。このとき、自分が算出した数字で世界が動いていくことを実感しましたね。データを扱う醍醐味を知りましたし、同時に間違ったデータを出せば大きな責任が伴うと感じました」

帰社後は、データ分析を駆使した業務改革を推進。2011年よりデータ分析組織を立ち上げ所長を務め、2018年からは現職に。企業人から教育の道へ進んだ背景には、こんな理由があったそうです。

「一つはデータ分析組織が軌道に乗り、私が抜けても発展していけると感じたこと。もう一つは、『意思決定』を重視する学部の姿勢に共感したこと。これらを踏まえ、元企業人の私がビジネスで役立つスキルを伝えられれば一定の役割を果たせるのではないかと感じ、残りの人生を教育に懸けてみようと思ったんです」

「キャンディの売上を伸ばすには?」企業と連携して行う演習の数々

同学部の教育で特色となるのが、多数の企業と連携し、ビジネスなどから生まれたデータを使って行う演習です。特にそのような内容が多いのが河本教授の講義やゼミで、1、2回生に対しては「データを使って“役立つ”ことが重要だという価値観を醸成させていく」と河本教授。

一例として、1、2回生の希望者のみ参加する河本教授の「自主ゼミ」では、走行中のアクセルやブレーキなどのデータを細かく取れるセンサーを開発している自動車メーカーと連携。大学近くの決められたルートを「最も低燃費で走ったグループが優勝」する演習を実施しています。ここで重要になるのが、センサーから得られるデータで、「走行データを分析する(=解く)だけでなく、そのデータを使い、低燃費走行を実現する(=役立つ)ことに意識を向けるのが狙いです」と河本教授は語ります。

河本教授の自主ゼミの演習で優勝したグループに贈られるモデルカー

3回生以降はゼミに所属し、さらに具体的なデータ演習を行います。特に河本ゼミで力を入れているのは「企業連携型PBL」。PBLとは「課題解決型授業(Project Based Learning)」の略で、企業に本物のデータを提供してもらい、その分析をもとに学生が役立つ施策を企業に提案します。

演習は1年間に6〜7つほど用意されており、それぞれテーマが設けられています。例えば小売店と連携では「キャンディ売場の売上を伸ばす」、製造現場と連携なら「自動車部品工場の異常予兆を検知するロジックを作る」など。最初にマーケティング領域の演習、次に製造現場、その後にテキストマイニングや画像データという順番で企業と連携しながら演習を行いますが、この演習の順番にも河本教授なりのこだわりがあるそうです。

「最初にマーケティングを持ってくるのがポイントです。それがまさにキャンディ売り場での演習ですが、このテーマを達成するには、課題を見つけて打ち手を考えるまでが必要。最初にそれをわかってもらいたいんですね」

河本ゼミ生が演習で学んだこと。問われた「他店と比較する意味」

河本ゼミの在学生(学年は取材時)。写真左から、3回生の渡邉湖都さん、4回生の松本佳奈さん、3回生の袴田晴人さん

実際に演習を行った河本ゼミの在学生に話を聞くと、まさに河本教授の意図を感じたという声が聞かれました。袴田晴人さんは「データ分析の技術には自信を持っていましたが、最初のPBLでそれだけでは足りないと痛感しました」と振り返ります。

松本佳奈さんも、マーケティングのPBLで「競合店舗との違いをデータで比較して、施策を提案しましたが、店舗の方からは『競合店舗との違いはそもそも課題なのか』と問われたんです。他店との違いをなくすことが、本当に課題解決になるのかと」と、課題発見の重要性を学んだと言います。

PBLでは企業の方と対話しながら、施策をブラッシュアップしていくのも特徴。まさにビジネスの現場で起きていることを行っているのです。渡邉湖都さんは、キャンディ売り場の売上を伸ばすための施策として、最終的に次の提案をしました。「まず課題として、以前の店舗リニューアルによりキャンディ売り場に足を運ぶ人が減っていることを挙げました。そこで、特設売り場を作ることを提案したんです。また、70歳代以上の方は買い物時の目線が下がると考え、従来よりも低い場所にキャンディを並べる施策も行いました」

もちろん、こうした施策はまだ実社会で活用できる水準ではないかもしれません。ですが、ビジネスの現場を使い、データを取って演習をすることで、実社会で必要な力を学生のうちから養っていくことができるのです。袴田さんは「今後、データ分析自体はAIが肩代わりしていく可能性があります。だからこそ、分析作業そのものよりもどんな分析を行うのかを大事にし、分析結果から新しい提案ができるデータサイエンティストになりたいです」と力強く話してくれました。

データ分析のスタートアップ創業者も。データサイエンス学部卒業生たちの活躍

河本ゼミの卒業生。写真左から、合同会社mitei代表の井本望夢さん、日本航空株式会社の森口翼さん

河本ゼミからは2021年3月に学部第1期の卒業生が出ており、ここで学んだことを武器に社会で活躍しています。井本望夢さんは、在学中の2020年にデータ分析のスタートアップ企業「mitei(ミテイ)」を設立。「中小企業はコスト的にも技術的にもデータを扱うハードルが高いのが実情です。その社会課題を解決したくて起業を考え始めました」と、起業を念頭に置く中で、河本ゼミに入ったといいます。

miteiでは、滋賀の地元企業をはじめ、中小企業も含めて幅広くデータ分析やそのコンサルティングを実施しています。「課題設定や“役立つ”につなげる施策の提案は、河本ゼミで学んだことが生きていますね。『データ分析を使って事業を良くしたい』という方がいても、その根本の課題が何で、どんなデータを取って、どう次に活かすかというロジックまで持たれているケースは多くありません。だからこそ、私たちの知識が活かせればと思います」

miteiオフィスに来社した滋賀県知事に事業内容を説明する井本さん

井本さんと同期の森口翼さんは、日本航空でデータサイエンスを駆使した新規事業の提案を行っています。「コロナ禍を経て、航空会社は航空収入以外の収益源を増やすことを重視しており、マイルをはじめとした航空会社の資産をどう活かすかが求められています。マイルの利用実態やSNSのつぶやきのテキストマイニングなど、さまざまなデータを分析しながら新規ビジネスを考えています」と語る森口さんは「会社のビジネスに貢献することはもちろんですが、ゆくゆくは航空業界全体に価値を生み出すような仕事をしたい」と続けます。地球上に散らばる航空関連のさまざまなデータを材料に、新しいアイデアが生まれる日が来るかもしれません。

社内の新規事業チームミーティングに参加する森口さん

社会で活躍する2人には、まちづくりにおけるデータ活用の可能性についても質問。井本さんは「行政や観光業の方々と、街全体を盛り上げるためにデータを使った施策をmiteiでも話し合っています。例えば滋賀県を訪れた方の周遊率を上げるための分析など。人流データを含め、さまざまな分析手法があるので、まちづくりにおけるデータ活用は非常に有効だと思います」と答えました。

一方、森口さんは「まちづくりは、行政だけでも、企業だけでもなし得ないと思います。行政とさまざまな企業が連携して、それぞれが持つデータを共有しながら課題を見つけていくと、より良い施策が見えてくるはず。官民一体で取り組めたらいいと思います」と答えてくれました。

大学での学びを糧に、社会へと羽ばたいた卒業生。そして今まさに大学で学ぶ在学生。皆さんの言葉には、河本教授の哲学がしっかりと引き継がれていると感じます。そんな教え子たちに向けて、河本教授はこんな思いを伝えます。

「卒業生や在学生には、周りに流されず、自分で考えをアップデートしながらチャレンジする人間になってほしいですね。データサイエンスとはあまり関係ないかもしれませんが、それが学生に一番伝えたいことです」

データ分析の技術だけを学ぶのではなく、そのデータを使い、社会に役立つ人材を育てていく。こういった理念の中で、滋賀大学データサイエンス学部や河本ゼミの学びが展開されています。データの重要性が高まる時代、ここには文字通り地に足のついた教育があると言えそうです。