人を中心にした“まちづくり”

「せんとうとまち」が取り組む東京・滝野川稲荷湯の再生と地域活性化

古くは江戸時代から、庶民のコミュニティスペースとして機能してきた銭湯。しかし、家風呂の普及などにより廃業が進み、戦後の最盛期に2,700軒近くあった都内の銭湯は、今や500軒を割り込むほどになっています。そんな中、一般社団法人せんとうとまち(以下、せんとうとまち)では、銭湯の社会的価値に着目し、銭湯、そして銭湯のある街の持続可能な在り方を探究しています。そのモデルケースと言えるのが、「稲荷湯修復再生プロジェクト」です。東京都北区にある滝野川稲荷湯は、どのようにして再生を果たし、街に新たな活気をもたらしたのでしょうか。プロジェクトの概要と、銭湯を基点にした地域活性化について紹介します。

目次

銭湯は地域社会を守る最後の砦

銭湯は、年齢や肩書きも関係なく、多くの人々が同じ時間、同じ空間を共有する場として、地域社会で大きな役割を果たしてきました。せんとうとまち代表理事の栗生はるかさんは、その存在意義について次のように話します。

一般社団法人せんとうとまち 代表理事 栗生はるかさん

「今は1人暮らし、マンション住まいの人が増え、隣人の顔さえ分かりません。人々の生活が分断される中、銭湯は地域がどんな人たちで構成されているのか分かる唯一の場所。その上、他者を気遣い、敬い、許容することの大切さも学べます。個人主義が進む中、こうした場がなくなれば社会も荒んでいきます。地域社会を守る上で、最後の砦と言えるのではないでしょうか」

理事のサム・ホールデンさんは、つい先日、銭湯で次のような場面に遭遇したと話します。

一般社団法人せんとうとまち 理事 サム・ホールデンさん

「私がお風呂に入っていたら、20歳の男性が入ってきたんです。でも入浴の作法が分からず、その場にいたご老人に怒られていました。聞けば、銭湯に来ること自体初めてだったそうで、作法が分からなくても仕方がありませんよね。でも、見ず知らずの人にいきなり怒られるのも貴重な経験だと思うんです。実はこうした経験が、人間関係で重要な役割を果たすのではないかと思います」

このように、多くの価値を持つ銭湯ですが、家風呂の普及、燃料費の高騰、建物の老朽化、後継者問題、相続問題などさまざまな要因が複合的に絡み合い、近年は減少の一途をたどっています。そこで、せんとうとまちでは銭湯の社会的・文化的価値を再評価し、銭湯および銭湯を軸にした街の生活文化を継承するためにさまざまな取り組みを行っています。そのきっかけを栗生さんはこう語ります。

「銭湯と街は、双方が健全な状態であってこそ成り立つもの。どちらか片方が衰退すると、バランスが崩れてしまいます。私はせんとうとまちを立ち上げるきっかけとなった活動で、文京区の魅力の発掘・発信を行ってきましたが(現在も継続中)、そこでも銭湯の廃業により街が衰退していくさまを目の当たりにしてきました。逆に、街が変わったことで銭湯に通う人がいなくなり、銭湯が衰退していく様子も見ています。銭湯がなくても生きていけるという人は多いかもしれませんが、銭湯が喪失した時のインパクトの大きさには、皆さんあまり気づいていません。数値化できないけど、とてつもない豊かさが銭湯にはある。そこで、銭湯と街の魅力を掘り起こし、広く発信する活動を始めたのです」

世界遺産級の価値が認められ、歴史ある銭湯を修復再生

寺社のような宮造りの稲荷湯

せんとうとまちの活動を続ける中で、栗生さんたちが出会ったのが東京都北区滝野川にある稲荷湯です。稲荷湯は大正2年にこの地で創業し、昭和5年に立派な宮造りの建物が作られました。足を踏み入れると、天井の高い脱衣所、鯉が泳ぐ坪庭、富士山が描かれたペンキ絵などが目に入り、昔ながらの雰囲気を感じます。映画『テルマエ・ロマエ』をはじめ、さまざまな作品の撮影が行われたことでも有名です。

天井高く開放的な脱衣場

脱衣場の脇には坪庭に面した縁側が

坪庭の池の鯉

稲荷湯の女将・土本公子さんは、生まれた時からここの風呂に浸かってきたそう。

稲荷湯 女将の土本公子さん(写真左)とご主人の土本俊司さん(写真右)

「子どものころは、親に代わってお客さんが私をお風呂に入れてくれました。当時は、この周辺にもたくさんお店がありましたね。稲荷湯の前の通りには駄菓子屋さんに八百屋さん、豆腐屋さん、表通りには映画館もあって、とても賑やかだったんです。今はマンションが増え、街の様子もずいぶん変わりました」

栗生さんは、まず稲荷湯の建築的な価値に着目し、この建物を守ろうと考えます。さらに、かつて従業員の住まいとして使用されていた隣接する二軒長屋の存在も知り、銭湯および長屋を維持するために国の登録有形文化財に申請。その結果、2019年に文化財としての価値が認められることになりました。

稲荷湯正面に設置された登録有形文化財の登録プレート

とはいえ、登録有形文化財に認定されても、資金面の援助はほとんど受けられません。そのため、栗生さんたちは世界の危機的遺産への支援を行う「ワールド・モニュメント財団」(以下、WMF)へのアプローチも並行して進めました。2年に一度、危機に瀕した遺跡・文化遺産を選定する「ワールド・モニュメント・ウォッチ」リストを発表しているWMFに、「稲荷湯修復再生プロジェクト」を守るべき文化遺産として申請したところ、250件以上の中からウォッチリストに掲載される25件に選ばれることに。他に選出されたものの中には、ノートルダム大聖堂やマチュピチュの文化的景観といった世界遺産も。つまり、稲荷湯には世界遺産と同等の価値があり、後世に残すべきものだと評価されたのです。

そして、このリストに掲載されたことから、アメリカン・エキスプレスの支援を受け、WMFから約20万米ドルの助成を受けることに。この助成金をもとに、ペンキ絵が描かれた浴室壁面や塀の耐震補修工事、長屋の修復を行いました。

耐震補強された男湯壁面の富士山のペンキ絵

「ペンキ絵が描かれた壁の板は、昭和5年に銭湯が建てられた当時からのものです。ペンキが浮いて剥がれるたびに、少し絵を削った上に新しい絵を描くのですが、何十回となく塗り重ねているのでボロボロになってしまって、せっかく描いてもらっても1年も経たないうちに剥がれてくるので困っていました。それが耐震補強のために壁の表面に新しく合板を貼ったところ、ペンキ絵も長持ちするように。すでに3年経ちましたが、まだまだきれいです」。俊司さんは、そう言って笑顔をのぞかせます。

さらに、稲荷湯に隣接する二軒長屋をサロンとして再生する、大掛かりな修復工事も実施。再生プロジェクトを通じ、土壁を再生する左官工事、土壁の土台となる竹小舞を編む技法など、伝統の職人技を受け継ぐことも重要なミッションでした。

二軒長屋の土壁の一部に開口部を設けて土台となる竹小舞が見えるように。こちらは修復前の竹小舞

修復後の竹小舞

「かつては日本中に長屋がありましたが、今ではほとんどがなくなり、現存しているものも朽ち果てて放置されていたりします。そもそも長屋は庶民の住宅ですから、贅を凝らした立派な建物ではありません。お金を掛けて再生するという発想がなく、ましてや国内では維持するための助成金が出ることはないでしょう。こうして再生されるのは非常に珍しく、貴重な事例だと思います」(栗生さん)

写真に残された修復前の二軒長屋の内部の様子。何年も物置と化し、すっかり朽ち果てていた

二軒長屋のうちの一戸は、当時の姿に修復された

昔からこの建物を知る公子さんは、再生した長屋を見て感慨もひとしおだったそう。「私たち家族だけでは、崩れ落ちていく長屋を再生することはできませんでした。新しく生まれ変わった長屋を見て、本当にうれしかったです」

銭湯から生まれる、地縁コミュニティの重要性

二軒長屋は湯上がり処兼地域のコミュニティスペースとして再生

再生した長屋は、お風呂上がりに喉を潤し、おしゃべりを楽しむ湯上がり処として利用されている他、近隣住民によるDJイベントや子ども向けのアート教室、ボードゲームの集い、出張飲食店なども行われています。

長屋のもう一戸には土間とキッチンカウンターを設け、湯上がりにくつろげるサロンに

「湯上がり処のカウンターに立ってお客さまと話していると、『このスペースで何かやってみたい』という方が何人もいらっしゃいました。さらに、ここでイベントを行った方からその知人へと、どんどんネットワークが広がっていきました。今、世の中には仕事や趣味を軸とした閉鎖的なコミュニティが多いですが、地縁を基点にすると開かれたコミュニティが生まれます。こうした関係性が自然と生まれる場所が、今はだいぶ少なくなっていますよね。まだオープンして1年ですが、既にこの場所の価値が認められてきたように感じます」と、サムさんは語ります。

長屋の出入り口のガラスにはイベントスケジュールが

長屋ではさまざまなイベントが行われている

現在は、せんとうとまちのメンバーが長屋の運営に携わっていますが、いずれは地域住民による自立自走をめざしているとのこと。「地域の人たちに、この長屋を自分たちの居場所だと思っていただき、主体的に運営してもらえたら」と栗生さんは今後の展望を話します。

「稲荷湯修復再生プロジェクト」を足掛かりに、せんとうとまちでは次のプロジェクトも始めています。それが、地域の歴史や人々の記憶を集めるトークイベント「わたしのせんとうとまち」。北区政策提案協働事業に採択され、北区にある稲荷湯も含めた全23の銭湯を3年掛けて1軒ずつ回る予定です。

「これは、銭湯のある地域に長く暮らす人たちや銭湯のご店主に昔の写真や地図などを持ち寄っていただき、銭湯や街が賑わっていたころの記憶を振り返っていただくというイベントです。このような話を聞き取り、銭湯に集う人たちの物語をさまざまな世代に伝えていきたいと考えています。それによって、銭湯の価値を今一度見直すきっかけになるのではないでしょうか」(栗生さん)

記憶トークイベント「わたしのせんとうとまち」は順次開催中

銭湯の再生は、街の再生につながる

せんとうとまちが再生を手掛ける銭湯は、稲荷湯だけではありません。東京都荒川区の帝国湯も、彼らのサポートも助けになってよみがえった銭湯です。帝国湯は1年間休業していましたが、関係者の尽力に加えせんとうとまちの働き掛けもあり、見事に復活を果たしました。こうした喜ばしい事例がある一方で、銭湯の廃業は待ったなし。燃料費の高騰を受けて、今後さらに廃業が加速していくことが懸念され、栗生さんも厳しい現状に焦りをにじませます。

「銭湯の現状は本当に厳しく、いつ廃業を決めてもおかしくありません。現在、私たちが相談を受けているのは、地方も含む10~15軒の銭湯。オーナーさんに限らず、銭湯を残したい地域の方々から相談をいただくこともあります。とはいえ、皆さんそれぞれ事情がありますし、再生は至難の業です。一方、誰にも相談できず、ご家族だけで何とかしようと必死になり、途方に暮れているオーナーさんもいます。ですから、今すぐにでも関係性を築いておかないと、と感じています。最初はサポートを拒んでいても、私たちと関わるうちに徐々に前向きになり、銭湯が活性化されるケースも。お困りの方はぜひ相談を持ち掛けていただきたいです」

サムさんも「この先5年が勝負」と、危機感を抱いているそうです。

「これから5年か10年で多くの銭湯が代替わりし、廃業を選ぶところも増えていくのではないでしょうか。古い銭湯から廃業していく傾向があるので、強い危機感を抱いています。ただ、最近は『稲荷湯修復再生プロジェクト』を知り、僕たちの専門性を理解した上で相談にいらっしゃるオーナーさんも増えています。銭湯の歴史的価値を可視化し、その素晴らしさを発信するところに強みがある僕たちなりの方法で、今後も各地の銭湯をサポートしていければと思います」

銭湯と街は、分かちがたい関係にあります。1軒でも多くの銭湯を残し、その社会的・文化的価値に気づく人が増えれば、街の再生にもつながるでしょう。せんとうとまちの活動を通して銭湯の存在意義、その価値を今一度見直し、これからのまちづくりのヒントに役立ててはいかがでしょうか。

稲荷湯営業中には、「風呂が沸いた」を意味する「わ」の札が掛けられている