人を中心にした“まちづくり”
城下町の町並みを壊さず分散型ホテルに変貌させた大洲市(後編)
日本初の城泊が行われている愛媛県大洲市の大洲城。その城下町は近年、朽ちゆく空き家が目立ち、昔ながらの美しい町並みの維持が困難になってきていました。そこで、数ある空き家を修復してホテルにし収益化することで、町を活性化しながら町並みを保存する観光まちづくりを官民連携で進めています。後編では、町をまるごとホテルにする分散型ホテルの手法と、これによって変化した大洲市の町並みと住民についてご紹介します。
(取材時期:2023年12月)
目次
城下町をまるごとホテルにする分散型ホテルが可能になった背景
お城に泊まれるという日本初のキャッスルステイを実現した大洲市。もともと観光地ではない地方の自治体が、その存在を国内外に知らしめるには、このくらいのインパクトが必要でした。しかし真の目的は、古い町家を宿泊施設に活用することで城下町の風情を残していくこと。そのベースになったのは、バリューマネジメント株式会社が当時すでに兵庫県丹波篠山市などで実現していた分散型ホテルのまちづくりモデルでした。エリア内に点在する蔵や邸宅などの歴史的な建物をホテルに改修し、昔ながらの景観を維持。観光客にはフロント棟から宿泊棟へ、ショッピングや食事へとあえて町の中を回遊させることで、町全体に活気と経済の循環をもたらすという仕掛けです。
バリューマネジメントがこの手法に行き着いた理由の一つには、活用して収益を生むには既存の建物の面積が狭いという現状がありました。「収益性と面積とはイコールです。小さな町屋一つをホテルにしても、町を変えるほどの集客力と収益は望めません。でも、建物一つひとつは小さくても10棟あれば収益も10倍になります」とバリューマネジメント代表取締役の他力野淳さん。2013年開業の「竹田城 城下町 ホテルEN」(兵庫県朝来市)や2015年開業の「篠山城下町ホテルNIPPONIA」でこの手法を使って実績を挙げ、他の地域でも同様の展開ができるという手応えを感じていました。
2018年6月の旅館業法改正も、分散型ホテル推進の追い風になりました。改正によりフロント機能が同じ建物内になくても宿泊施設として運営することが可能になり、分散型ホテルの場合、各宿泊棟には客室だけを設置し、フロントは1カ所に集約することができるようになったのです。
観光まちづくりを持続可能にするための役割分担
大洲で分散型ホテルを実現するために、2018年4月に大洲市とバリューマネジメントを含む関係各所の連携協定が締結されました。その3カ月後に大洲市が出資する形で設立されたのが地域DMOの一般社団法人キタ・マネジメント。そして、キタ・マネジメントの子会社として不動産会社の株式会社KITAが設立されました。
「キタ・マネジメントは地域DMOとして、業務内容は必ずしも収益に直結しないものも引き受けていく必要があります。一方、KITAは不動産会社として収益を追求する会社です。この二つを切り分けることで収支が明確にしやすく、融資が受けやすくなるという利点があります」とキタ・マネジメントの代表理事・CEOを務める髙岡さんは説明します。
このプロジェクト全体に掛かる費用が約12億円。そのうち6億円は国と市からの補助金が適用されることとなり、残りの6億円はKITAがファンド2社からの調達と返済期間15年で伊予銀行や地元の信金及び政府系金融機関3行から借り入れました。
「KITAは空き家の所有者から15年契約で空き家を借り上げ、修復してホテルに仕立てます。そのホテルをバリューマネジメントに同じく15年契約で貸して得た家賃収入から銀行に返済します。残りが利益となり、その利益を町に再投資するのです」と髙岡さん。
「15年というと、また修繕が必要になってくる時期なので、空き家の所有者さんに再契約なのかご自身で使われるのか検討していただくにはちょうど良いと思います」と大洲市環境商工部観光まちづくり課の押田清さんは言います。
さらにKITAは、事務などマンパワーの必要な業務をキタ・マネジメントに委託。不動産事業で得た収益から業務委託料をキタ・マネジメントに支払うことで、補助金に頼らず自走できる仕組みを確立しました。
何をどんな順序で修復し活用を進めていくか
この仕組みを回すには、宿泊客が来ることが大前提。そのためにはホテルに改修する物件の選択もかなりシビアになります。第1期から第4期にかけて行われた開発により、現在までに26棟31室の客室を有するホテルが完成しましたが、改修された建物の中には大洲市が調査して提示した活用可能物件のリストにはなかったものも含まれます。逆に、リストにはあったものの、再生が叶わなかったものもありました。費用対効果や観光客に歩かせたいルート上にあるかどうかなど、さまざまな要素に基づいて総合的に判断しなければならないからです。
客室の他にも、何らかの用途でどうしてもこの観光まちづくりの一部に組み込みたいとバリューマネジメント側が主張した建物がありました。
「例えば、お城に続く坂の入り口にある長屋の物件です。これがそのうち取り壊されて現代的な民家が建てられてしまうのと、昔ながらの外観のまま活用できるのとでは、まったくもって価値が違うのです」(他力野さん)
リストになかったこの物件は、所有者との交渉を重ねた結果、活用可能となりました。現在は眼前に大洲城を臨むレストラン「LE UN」として使われ、大洲城と一体化した景観を形作っています。
国指定重要文化財の臥龍山荘もまた、バリューマネジメントが大洲城と並ぶアイコンと位置付け、活用を働き掛けた建造物です。数寄屋建築の傑作と評されるこの山荘は、木蝋貿易で財を成した河内寅次郎が明治時代に築造しました。蛇行する肱川を見下ろす崖上に建てられた離れの茶室、不老庵の天井は竹で編まれており、そのつややかな表面に月光が反射して部屋の中を照らすという趣向が施されています。母屋と二つの茶室に施されたさまざまな細工はもちろんのこと、庭園や石垣にいたるまで計算し尽くされた設計。「そんな素晴らしい建物が9時から17時の一般開放の時間帯以外は閉まっている。その時間を、町のために価値ある時間に変えましょうと提案したのです」と他力野さん。こうしてキャッスルステイを利用した宿泊客が翌日の早朝に臥龍山荘で朝食をとるというプランが完成しました。
また、4期に分けての工事期間に、どんな順序で工事を進めるかも重要なポイントです。日本初の城泊を実現し、大洲市という城下町を知ってもらうために、真っ先に大洲城の整備に着手したという経緯は前編でご紹介した通りです。そこから先の城下町の再生についても、バリューマネジメントによる綿密な収支計画とゾーニングに基づいて工事の計画が立てられました。「投資と回収というのはバランスが大事。物件の状態には差があり、改修費用がかさむものは4期に分散させて負担を軽減するなど、組み合わせを考えながら計画を立てました」と他力野さん。大洲市は計画に合わせて各方面との調整や法的な確認を行うなど、役割分担をして進めました。
住民たちの変化とこれからの観光まちづくり
こうして2018年の連携協定締結から約5年、2023年夏に第4期の工事が完了し、大洲のお城と町並みを生かした分散型ホテル、「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」が完成しました。外壁などの外観も含め、できるだけ昔ながらの建物の趣をそのままに残し、客室はそれぞれのテーマに合わせた異なる内装になっています。
例えば、土蔵を活用したある客室は、川の氾濫に備えてもともと床を上げているという建物の特性を活かして、床下に排水・水道管を通して水回りを部屋の中央に設置することで、湿気による壁の劣化を防ぎつつ意外性のあるデザインで宿泊客を楽しませるなど、さまざまな工夫が施されています。
キャッスルステイを除いた客室の1泊平均単価は約70,000円。プロジェクト開始前には、「こんな何もないところにそんな金額で宿泊客が来るわけがない」と言っていた住民の方たちは、観光客が町を歩く様子を見て変わり始めたといいます。
「都会の人が田舎に行くから面白いし、田舎の人が都会に行くから面白い。要するにギャップなんです。地元の人は地元に対してギャップを感じません。だから自分の日常に価値があると思えないのですが、そこを訪れる人にとっては価値があるんだということに気付いたことが、最大の変化ではないでしょうか」と語る他力野さんは、観光まちづくりを進めるにあたって、賛成者よりも反対者よりも、圧倒的に多いのは無関心の人だと続けます。このプロジェクトは、大洲城に宿泊するという企画に対して住民から大きな反発がありました。
「だからこそ、シンポジウムや説明会などを通じて住民に説明をする機会を多く設けました。住民を巻き込んでのまちづくりに関するシンポジウムなどの催しは、今も継続して行われています」と、大洲市観光まちづくり課の宇高将志さん。こういった努力が奏功し、反対派に加え、無関心の人の意識が変わってきた側面があるのかもしれません。
コロナ禍にも関わらず、プロジェクトに参画した地元の事業者は24に上り、城下町エリアには新しいカフェやショップなどが増えています。城下町のある肱南地区では約200人を対象に毎年アンケートを実施していますが、年々、観光まちづくりに対する理解度が向上していることが分かるそうです。
「外国語ができないが海外の人に対してどういう受け入れの仕方をしたらいいか、といった質問が住民から寄せられるようになりました。さらには観光まちづくりについて、行政に対する要望や期待の言葉も大変多く寄せられています。数年前まではありえなかったことです」と大洲市観光まちづくり課の德石伊重さんは言います。
今後の大洲市の観光まちづくりへの抱負に話が及ぶと、「ここから先は、さらに住民との連携を深め、一丸となって観光まちづくりを進めていきたい」と押田さん。
髙岡さんは、「インバウンドを強化したいと考えています。日本人観光客は週末に集中するのに対し、外国人観光客は、曜日は関係ない場合が多い。平日の宿泊客を増やせば、地域の飲食店や商店の売り上げをもう少し平準化することができると思います」と今後の展望を語ります。
これまで2年連続で国際認証「世界の持続可能な観光地TOP100選」入りを果たした大洲市。3年目以降も継続して世界的評価を得るためには、CO2の排出量削減やゴミの削減など、環境に配慮した取り組みが必要であり、住民と共に取り組まなければならない課題が山積していると髙岡さんは力説します。
成長率が減退しても、人口が減っても、アイデンティティを失わないことが大切だと言う他力野さんは、こう続けます。「町並みなどの有形なものが残っているからこそ、愛着が残り、コミュニティが残り、暮らしが残ります。そこに暮らす人がいれば文化や習慣が残り、それがアイデンティティという無形のものを残すことにつながります。これを続けていけるかどうかが、私たちの大洲市での挑戦です」。