人を中心にした“まちづくり”
日本初の「城泊」を実現した愛媛県大洲市の観光まちづくり(前編)
日本初の泊まれる天守が実現した愛媛県大洲市の大洲城。そのきっかけは、歴史的な城下町の町並みを保全することでした。市のアイコンである大洲城での一日城主体験の実現を皮切りに、官民による強固な推進力と熱意で輝きを取り戻しつつある大洲市の観光まちづくりを、前後編にわたってご紹介します。
(取材時期:2023年12月)
目次
- 日本初のキャッスルステイが実現した大洲城
- 建造物老朽化により危機に直面した歴史的な城下町の町並みの保全
- 歴史的建造物と町並みを保存・活用するプロとの出会い
- 「妄想会議」で膨らませた大洲城活用のアイデア
- 住民への説得とキャッスルステイの実現
日本初のキャッスルステイが実現した大洲城
市の中心をうねる肱川が伊予灘と内陸の盆地を結び、冬にはその川沿いに濃い霧が駆け下りる肱川あらしが幻想的な愛媛県大洲市。その市街地は、かつては400年以上の歴史を持つ大洲城の城下町として栄えました。
そんな大洲城で始まったのが、天守に宿泊できるという日本初の体験「大洲城キャッスルステイ」です。宿泊客は法螺貝の合図に合わせ、鉄砲隊の祝砲に迎えられるという入城に始まり、お城の中で地元食材をふんだんに使った食事を楽しみ、肱川を見下ろす木造の天守で就寝し朝を迎えます。年間30組限定のこの特別な体験は、どのようにして実現したのでしょうか。
大洲城の歴史は鎌倉時代末期に始まると言われています。今も残る建造物の中には、18世紀半ばから19世紀に建てられた4棟の櫓がありますが、慶長年間(1596〜1614年)に建てられたといわれる4層4階の天守は明治21年(1888年)に取り壊されており、その復元が望まれていました。
天守が失われてからおよそ100年が経った1984年。「大洲市に市民をメンバーに迎え入れたまちづくり委員会が発足し、その中にお城の復元について考える専門部会ができました」と大洲市環境商工部観光まちづくり課の課長を務める德石伊重さん。そして大洲市制40周年の年に当たる1994年には大洲城天守閣再建検討委員会が発足し、より具体的な再建への動きがスタート。
当初は鉄筋コンクリートでの再現も検討されましたが、江戸期の木組模型と明治時代に撮影された3方向からの鮮明な写真が発見されたため、木造での完全復元が可能と判断され、10年間かけて作られたのが現在の天守です。「掛かった13億円の費用のうち、約5億円が市民からの寄付によって賄われました」と大洲市観光まちづくり課の押田清さん。
しかし、復元はあくまで町のシンボルを取り戻すための復元。このときは天守に宿泊する「城泊」という前代未聞の計画はまだなかったのです。
建造物老朽化により危機に直面した歴史的な城下町の町並みの保全
近年、日本各地の地方自治体に共通する課題として挙げられるのが、建造物の老朽化によって失われていく町並みの保全です。大洲市も同様の悩みを抱えており、「ここ大洲市では、山間部だけでなく城下町エリアでも少子高齢化が進み、古く趣のある町並みの維持が年々難しくなっていました」と德石伊重さんは語ります。
古い民家などを所有する住民から、維持が困難なため取り壊したいという相談が大洲市に相次ぐようになり、雨漏りのする屋根にはブルーシートが被せられ、剥がれ落ちそうな壁を緑色のネットで覆っているような空き家が点在しているありさまだったといいます。町並みは、一度失われてしまうと取り戻せません。2017年、危機感を抱いた大洲市が動き出しました。
昔ながらの町並みを保存するには、建造物を修復するだけでなく、民間で活用して収益化するしかないと考えた大洲市は、数ある空き家を再生して宿泊施設にすることを思い付き、地元の株式会社伊予銀行に相談。そこで対応したのが当時、伊予銀行の初代地域創生部長だった髙岡公三さんでした。
「話を聞き、資金はもちろんですが、この宿泊施設を運営できるプレイヤー探しが先決だと考え、一緒に探そうということになったのです」と髙岡さんは振り返ります。
歴史的建造物と町並みを保存・活用するプロとの出会い
運営するプレイヤー探しを続けていたとき、髙岡さんはある報告を部下から受けます。それは、兵庫県丹波篠山市の城下町をまるごと分散型のホテルにした「篠山城下町ホテル NIPPONIA」がテレビで取り上げられているということでした。すぐさまこのホテルの運営会社であるバリューマネジメント株式会社代表取締役の他力野淳さんに会うために動き始めます。2017年9月に面談がかない、同年11月には他力野さんによる大洲市の視察が実現しました。
約20年前から文化財の保存・活用を手掛けてきたバリューマネジメント。建物単位での活用を進める中で、「日本の大切なものを一つでも多く残していくことが結果的にエリア自体の活性化につながっていきました」と他力野さんは言います。全ては残せなくても、その町にとって大事なものを洗い出し、収益化することで残していく。これがバリューマネジメントの手法です。そんな歴史的建造物・町並みの保存のプロの目から見て、初めて訪れた大洲市はどのように映ったのでしょうか。
「正直、これは厳しいなという印象でした。観光まちづくりをめざすからには当然、“わざわざ”人が来るかどうかというところを考えます。ですから、活用できる物件の中に核となるような、力のあるストーリーを持つものが少ないと難しいわけです」(他力野さん)
視察の終盤、ある建物が他力野さんの目に留まります。それは、1925年に旧大洲藩主の末裔である加藤泰通によって建てられた旧加藤家住宅でした。大洲城の三の丸に位置し、大正ガラスがふんだんに使われたこの建物は、国登録の有形文化財に指定されており、これを活用するというのは想定していないことを分かった上で、「こういうところが使えるといいのですが、どうでしょうか?」と質問したのです。
やはり即答はできなかった大洲市ですが、一週間後、「許可が下りた」との知らせが他力野さんのもとに届きます。「許可を取るのは本来ならば何年もかかるかもしれない骨の折れる仕事のはず。皆さんの本気と気概が感じられました」と他力野さんは振り返ります。
こうして何度かのやり取りを重ねて、2018年4月に大洲市、バリューマネジメント、伊予銀行、NOTE(一般社団法人ノオト・株式会社NOTE。バリューマネジメントと共に篠山城下町ホテルNIPPONIAを手掛けている古民家などの再生・活用によるまちづくりの先駆者)の間で連携協定が結ばれました。
「妄想会議」で膨らませた大洲城活用のアイデア
並々ならぬ熱意で連携協定を実現した大洲市。しかし、旧加藤家住宅の利用許可が下りたとはいえ、観光客を呼び込むには目玉となるものに欠け、そもそも知名度が低いという課題は変わりません。そこでまず知恵出しをしようと、関係者が大阪のバリューマネジメント本社に集まりました。その名も「妄想会議」。常識を捨て、コストも無視して、大洲市の知名度を上げるためのアイデアを出し合おうというものです。
「肱川から水路を伊予大洲駅まで掘って、列車を降りたら船でお城まで行ける」「冨士山(とみすやま)と大洲城をジップラインでつなぐ」など奇抜なアイデアが次々出されますが、お城が何度も出てくるということは、やはり誰もが大洲城を町のシンボルと認識している証拠。そんな中、誰かが「大洲城に泊まるっていうのはどうですか?」と発言しました。「それができたら日本初だ!」と沸く参加者たち。そこで「100%不可能ではないと思います」と言ったのが、この会議の参加者の一人で、大洲城天守の復元をかつて担当した大洲市職員の村中元さんでした。復元の際に、建築基準法や消防法など関連する法律を一通り調べてあり、関係各所とのパイプもある村中さんの発言に、一同は勢いづきます。これは、「大洲市に観光客を呼ぶには、町のシンボルのお城をまずは活用するしかない」と考えていた他力野さんの思惑通りでもありました。
「一人も泊まる人がいなくてもいいんです。アイコンが強烈でさえあれば、それで大洲市を知ってもらって興味を持ってもらうことができるからです」(他力野さん)
9時から17時までの一般開放の時間に影響してはいけない、釘は1本も使ってはいけない、火も水も使えないなどと、大洲城天守を宿泊に利用するにはさまざまな制約があるため、キッチンカーやトイレカーの活用やコンテナを改造した浴室「キャッスルラウンジ」の設置など、解決策を考えました。しかし、最も大きな壁は、大洲市の住民や議員からの反対の声でした。
住民への説得とキャッスルステイの実現
天守復元費用のうちの4割が市民の寄付によるもので、市民の間では大洲城は「我々の城」と親しまれています。それをホテルにするとは何事だ、という反発の声があちこちで聞かれました。
「そもそも宿泊費が1泊100万円だなんて、宿泊客が来るわけがないという声も。お城の中を改装してホテル仕様にするつもりだと勘違いした方もいらっしゃったのかもしれません」(髙岡さん)
德石さんも、「昼間は今までどおり一般開放し、一般開放以外の時間帯だけキャッスルステイに利用するということが周知されておらず、何日も終日貸し切りになると思っている方もいらっしゃいました」と振り返ります。
まずは誤解を解き賛同してもらうために行った説明会は35回に上りました。収益の一部はお城や文化財の保全に使われるということ、城泊に活用できるのは年間30日と上限を設けること、ただ宿泊するだけでなく約400年前の大洲藩初代藩主・加藤貞泰の城入りの様子を再現した城主体験を通してさまざまな大洲の文化や歴史に触れてもらうことが目的であること、地元の神楽や火縄銃の鉄砲隊などにもボランティアではなく有償で城主体験に参加してもらうことで伝統芸能の継承にもつながることなどを、丁寧に説明していきました。
「観光により外から稼いだお金がどう循環するのかということを説明することが大切です。これが有形、無形、両方の文化財の保全に回っていくということをきちんと示したかったのです」と他力野さんは語ります。
「例えば、入城の際に鳴り響く法螺貝を吹いているのは地元の高校生ですが、こういった若い世代が将来、市外へ出て行った先に、キャッスルステイのおかげで大洲市を知る人が増えていてほしい。そして、『大洲って城主体験ができるところだよね』と誰かに言われたときに、『こんなことも体験できるんだよ』と胸を張って話してほしいという期待もあります」と押田さん。
こうして徐々に住民や議員の理解を得て実現したキャッスルステイ。オープンは2020年7月とコロナ禍の真っただ中で、主なターゲットとする海外の富裕層から問い合わせは来るものの、実際に訪日することはできない状況でした。そんな状況下で分かったのが、国内の需要でした。
「1年目は4組、いずれも国内のお客さまでした。医者、弁護士、会社のオーナーなど、コロナ禍で海外旅行に行けなかった富裕層の方達です」と大洲市観光まちづくり課の宇高将志さん。
オープンからこれまでのキャッスルステイの宿泊客は37組、そのうちインバウンドは4組です。予約が入っている日には、入城の法螺貝が鳴ったり、神楽が聞こえたり、花火が上がったりするため、住民の間でも「今日は殿様が来ているんだな」と話題にのぼるようになったと言います。後編では、大洲城から始まった観光まちづくりが城下町や住民をどう変えていったか、そして大洲市がめざすこれからの観光まちづくりについてご紹介します。