人を中心にした“まちづくり”

大牟田市の市営住宅での住み替えに向き合うプロジェクト

1960年代後半に建設された、福岡県大牟田市の市営A住宅。老朽化および集約化等の理由によってこの市営A住宅の取り壊しが決定し、2023年、住民は新たに建てられる市営B住宅に住み替えをする必要が生じました。住民の中には、50年近くの年月を同住宅で過ごしている高齢の方もおり、住まいと、その生活設備、周囲の環境に変化が生じる住み替えにより、生活のさまざまな場面で、負担が生じることが懸念されていました。そこで、大牟田市ではさまざまな企業・団体が協働し、プロジェクトを発足。住民との対話や、住み替え先となる市営B住宅のモデルルームを活用した安心できる住み替えの実践など、住み慣れた場所から離れることで生じるさまざまな課題に向き合うことを通じた、人々がWell-beingに暮らし続けるための取り組みについて伺いました。
(取材時期:2024年3月)

目次

新しい住まいでWell-beingに暮らし続けるために

「大牟田市では、2018年頃から、大牟田市、大牟田未来共創センター、NTT西日本(現在は、地域創生Coデザイン研究所)、NTT社会情報研究所などが協働して、地域の課題解決のための取り組みを行なってきました。今回、市営A住宅の取り壊しに伴う住み替えにより、住民の方にさまざまな負担が生じる課題に取り組むプロジェクトでは、有明工業高等専門学校(以下、有明高専)とも協働で取り組みを実施しました。それまで暮らしてきた環境から離れ、新たな環境での生活によって引き起こされる身体的・精神的・社会的な痛手のことを「リロケーションダメージ(*1)」といいます。私たちがリロケーションダメージに向き合う過程で先行する研究を調べていると、リロケーションダメージが、アイデンティティ・クライシス(*2)の問題でもあると指摘する文献がありました。そこで、私たちは、市営A住宅で懸念されたリロケーションダメージは、人と住まいや周囲の環境との関わりの中で培われてきたアイデンティティを毀損し得るのではないかと考え、リロケーションダメージをアイデンティティの問題として捉えた取り組みを実施することとしました。

NTT社会情報研究所 林瑞恵さん

NTT社会情報研究所の林瑞恵さんは、市営A住宅のプロジェクトが始まったきっかけについてこのように話します。大牟田市の市営A住宅では、住民がDIYによって住戸を増築したり、周囲に庭や畑を作って植物や野菜を育てたりするなど、独自の「住みこなし」が行われてきました。住みこなしを通じて、人は住まいや周囲との関わりの中でアイデンティティを培うと言われています。この住みこなしが実現した市営A住宅に、人がWell-beingに暮らすための在り方を見出すことができるのではないかと考えました。市営A住宅を初めて訪れたときの印象について、有明高専の佐土原洋平さんは次のように振り返ります。

有明工業高等専門学校 佐土原洋平さん

「住民同士がゆるやかなコミュニティを築きながら楽しげに暮らしている、というのが第一印象でした。庭には家族の記念日に植えた木や草花が元気に育ち、建物には増改築を繰り返した跡が残っている。50年という時間がつくってきた風景が市営A住宅にありました」

*1:リロケーションダメージとは、一般に「それまで暮らしてきた物的・人的環境から離れ、新たな環境での生活によって引き起こされる身体的・精神的・社会的な痛手のこと」とされる
(参考文献)
赤星成子,他:国内文献にみる高齢者のリロケーションに関する研究の現状と課題-リロケーションの理由とリロケーションダメージに着目して-,沖縄県立看護大学紀要,Vol.19,47-54,2018.

*2:アイデンティティクライシスとは、発達心理学者のE.H.エリクソンが著書『Childhood And Society』(1950年)に提唱した概念。自己の役割、存在意義、目標などを見失い、混乱が生じたり、心理的な危機に陥ったりすることを指す

暮らしの中で大切にしていた価値観に気づく

市営A住宅の生活設備は古く、多くの住民が、住み替え後に新たな生活様式を身につける必要があると想定されていました。私たちの感覚では新しい生活設備になることは生活が便利になりよいように思いますが、何十年も使ってきた高齢者にとって設備が変わることは使い方がわからないだけでなく、体験そのものが大きく変化するため強いストレスがかかるといいます。急な変化に伴うストレスを防ぐため、住み替え後の住まいでの生活イメージを持ちながら、新しい設備に慣れたり、新しい住まいを住みこなしたりするためのモデルルームを市営A住宅の空き家に設計。住み替え後の室内空間の一部を再現することにしたそうです。

長年住んでいる市営A住宅の建物の中に新しい住宅のモデルルームがあることで、これまでの生活の延長のまま新しい空間や設備を体験できることに重きを置いたユニークな取り組みです。

市営A住宅に設営されたモデルルームとその内観

実際の広さとは異なる部分があるものの、これから引っ越す住まいの雰囲気や設備を体感したことで、住民からは「持って行く家財道具の見極めや、家族の部屋割りなど、新しい暮らしを想像しやすくなった」という声が多くあがりました。それに加えて、「学生を含めたプロジェクトメンバーによる丁寧な対話をくり返すことで、住民自身が大切にしていた価値観を再認識する機会にもなった」と、有明高専の藤原ひとみさんは言います。

有明工業高等専門学校 藤原ひとみさん

「モデルルームや住民の方のご自宅で対話をする中で、引っ越しを機に捨てようと思っていた家具や、亡くなった家族の服、写真といったものが、実はかけがえのない思い出の品だったことに気づく方が多くいらっしゃいました。そういった思い出をどのように残していくか、学生の力も借りながら模索していったのです」

大型の家具など、新しい住まいに持って行けないものは形を変えて。学生と本プロジェクトのメンバーはヒアリングを繰り返し、デジタルファブリケーションなどの技術を用いて家具のリメイクに取り組んだと、指導にあたった有明高専の正木哲さんは説明します。

有明工業高等専門学校 正木哲さん<リモート参加>

「例えば、衣装箪笥(たんす)の引き出しを再利用してテレビ台を作ったり、食器棚を再利用して靴箱を作ったり。学校で習った技術を活かせただけでなく、世代の異なる住民の方との対話そのものが、学生にとっては大きな刺激になったようです」

有明工業高等専門学校の学生によるリメイク家具

人との関わりや生活の楽しみをつなぐための工夫

1980〜90年代には200世帯が住んでいた市営A住宅。当時はファミリー層が多かったものの、年月とともに高齢化が進み、住民の家族形態も変容していったといいます。

住み替え先となる市営B住宅

「子どもの頃からこの地域で暮らしてきた方の中には、亡くなった家族との思い出がある家や、季節ごとに楽しみを与えてくれる庭や畑がある暮らしから離れる寂しさを口にする方も少なくありませんでした」と、林さんは言います。

「市営A住宅では、庭の植栽の開花や、地域に居着いた猫などが、住民のコミュニケーションをつないでいました。そのようなコミュニティを保てるよう、住み替え後の市営B住宅には、集会場に誰でも参加できるコミュニティサロンや、住宅の周囲に畑を併設し、定期的に活動を開催することにしたのです」

大牟田未来共創センター 下地啓さん

そう説明してくれたのは、市営住宅にお住まいの住民の方たちと密にコミュニケーションを取ってきた大牟田未来共創センターの下地啓さん。市営A住宅から植物と一緒に、これまでアイデンティティを形成していた畑や植栽作業など生活様式の一部も移転してきました。

もともと市営B住宅に小さな畑はありましたが、引っ越し完了後、本格的に開墾作業を実施。作業に参加した方からは「久々の作業で楽しかった」「もう一度畑が出来るなんて思ってもみなかった」「引っ越しして以来体調が悪かったが、畑に助けられて元気になった」などの声が聞かれました。一度はあきらめた畑という「場」と、そこでの作業を通して、アイデンティティの更新をしていきます。市営B住宅住民や近隣の方は「景観が整い、野菜も元気に育ってここ(畑の前)を通るのが楽しみになっている」と話します。「場」を介してコミュニケーションがうまれ、人間関係が再構築されていき、コミュニティサロンや地域での新たな活動につながっています。

市営B住宅に併設された集会所で開催されているコミュニティサロン

アイデンティティの問題を内包する人と住まいの関係

「今回のプロジェクトの一番のポイントは、人は住まいとの相互作用の中でアイデンティティを培っていることに着目したこと、つまり人と住まいの問題はアイデンティティの問題で、リロケーションダメージもまたアイデンティティ・クライシスの問題だと捉えてアプローチしたことです」と、大牟田未来共創センターの山内泰さん。

大牟田未来共創センター 山内泰さん

「住み替えが済めばプロジェクト終了ではなく、リロケーションダメージのケアはむしろここからが本番です。市営A住宅で住民のみなさんが培ってきたアイデンティティを、どのように引き継ぎ、そして更新しながら、新しい環境でWell-beingな暮らしを営むことができるのか、試行錯誤しながら取り組んでいます」

古い住宅の取り壊しだけでなく、災害や過疎化など、リロケーションの問題は全国どこでも起こり得ます。地域創生Coデザイン研究所の梅本政隆さんは「リロケーションダメージの解決に正解はない」と前置きをした上で、次のように話します。

地域創生Coデザイン研究所 梅本政隆さん

「私たちは、今回のプロジェクトで住民のみなさんとの対話を重視してきました。暮らしの中で何を大事にしてきたか、実際に聞いてみなければわからなかったことも数多くありました。対話を通して、住まいや身の周りにあるモノや人、景色が自分たちのアイデンティティと深く関わっていることに気づくのです。そのように、対話を通して住民が無意識のうちに培っている価値観に自分たちなりに気づく場をつくることが、リロケーションダメージを軽減する糸口になるのではないかと思います」

ただ生活に必要な機能を備えた住宅に住んでいた、というだけではない「自分たちの暮らし」が市営A住宅にはありました。それまで営まれてきた生活とそこで築かれてきた人の繋がりを知ることで生まれる、新しい暮らしへの「接ぎ木」のようなリロケーション。暮らしてきた時間と、そこでのコミュニケーションで培われた住民のアイデンティティに寄り添うことを徹底した本プロジェクト。リロケーションダメージのケアだけでなく、多くの人にとって暮らしのWell-beingを育むヒントにもなり得るのではないでしょうか。

住み替え後、市営B住宅に近接した場所に畑を開拓。この畑を通じて、住民たちを繋ぐコミュニケーションが生まれている