人を中心にした“まちづくり”

東京・青山「ののあおやま」に見る、(株)たりたりのまちづくりビジョン

2020年5月、東京・青山の大規模都営住宅の跡地に誕生した「ののあおやま」。東京都が青山通りの沿道区域で進める「北青山三丁目まちづくりプロジェクト」の一環として開発された、賃貸マンションや保育園、地域交流拠点などを備えた複合施設です。

「ビルに緑地をつくるのではなく、森のなかにビルを建ててほしい」との地域の思いをもとに、3500平米の広大な緑地空間と共に整備されました。このプロジェクトに地域から参画し、地域と開発事業者、行政のつなぎ役を果たしたのが、現在「ののあおやま」の企画運営をする「たりたり」代表の水野成美さん。水野さんのまちづくりの取り組みとビジョンを、「ののあおやま」を通して紐解いていきます。

目次

青山を「自然回帰の街」に

青山の地権者の一人である水野さん。叔父が1962年に青山の地に創業した市街地開発株式会社の役員を務め、青山の中心部を走る青山通りのビル4軒の管理を手がけてきました。そこへ持ち上がったのが、長年管理を担っていたビルを含む周辺エリアの再開発計画。青山通りの裏手にある敷地面積4ヘクタールの大規模都営住宅が老朽化、その建て替えを機に、広大かつ好立地の土地を有効活用しようと、周辺の民有地もあわせた再開発が検討されたのです。

再開発に会社としてどう関わるか。悩んだ水野さんは会社の古い資料にあたり、過去、1964年の東京オリンピック開催に向けた再開発が青山で行われたときの対応を調べます。そのとき出てきたのが、当時、叔父が作成したたくさんの冊子。それを見て、水野さんは心が大きく動かされたといいます。

「若かりし叔父は、『人が住み続けられる、そして家族が暮らしやすいまちづくりを』という信念のもと、街の未来にたくさんの夢を描き、地域と協力して新しいまちづくりに取り組んでいました。冊子を通して叔父のまちづくりに対する思いにふれ、私が本来やるべきことは、これではないかと気づいたのです。地権者として権利を主張するだけでなく、もっと大きな視点に立って考えなければ。叔父が志していたように、青山に関わる人たちのために、青山の街の未来を考えていきたい。そう思いました」

水野さんは、市街地開発株式会社の社長で開業医の中井暲典医師と一緒に、未来の青山を構想することに。中井医師は戦前から青山で暮らし、その変遷を見続けてきた人物。水野さんにとって青山の大先輩であり、人としても尊敬する相手です。2人は話し合いを重ね、中井医師が打ち出したのが「自然回帰」というテーマでした。

「日本人はもともと、自然に生かされているという自然への感謝と畏れを持ちながら生きていた。戦後、次々とつくられるビルと引き換えに自然が消え、人間中心になってしまった街に、もう一度、本来の自然を取り戻したい。人間が自然の一員として、心豊かに、健康に過ごせる街にしたい」そんな中井医師の考えに、水野さんも強く共感します。

そこで水野さんたちがとった行動は、めざす街の未来像を一人でも多くの人に伝え、共有する人を増やしていくこと。2人は街のコンセプトを表明した冊子「青山構創」「青山まちみらい」を発行し、地権者や行政など青山に関わりのある人たちに配布。さらに、地権者だけでなく、開発事業者や幅広い分野の専門家と共に、青山らしさや自然と共生する街をテーマに、多様な視点から議論を重ねていきました。そしていよいよ再開発が決まると、水野さんは「今こそ街のビジョンを実現するとき」とプロジェクトに参画。「株式会社たりたり」を設立し、現在は「ののあおやま」のエリアマネジメント活動※を担っています。

※地域の環境や価値を維持・高めるための住民や事業主、地権者等による活動

人と人、人と自然がつながる場所

東京メトロ表参道駅から歩いて5分、青山通りから数十メートル住宅地側へ入ったところに現れるのが「ののあおやま」です。敷地を包みこむように広がる森は、照葉樹の樹林帯や小川、ビオトープもある豊かな自然空間。そこかしこにベンチも配され、近隣のオフィスワーカーや買い物に訪れた人など、さまざまな人たちの憩いの場となっています。この森で「(株)たりたり」は、地元の子どもたちによる森づくり活動や生き物観察ツアー、森を舞台にした音楽会など、地域と森をつなげる活動も行っています。

森に寄り添うように建つのは、建築家の隈研吾氏がデザイン監修した「ののあおやま民活棟」。地面が盛り上がるような下層部のデザインは、青山が丘陵地であることにちなみ、森の広場から丘へと駆け上がっていくイメージから生まれたものです。1階2階は「森の商店街」がコンセプトのショップ・レストラン街。その一角に、「(株)たりたり」が運営する地域交流拠点「まちあいとおみせ」があります。お店と交流施設が一体となったこの場所は、子どもたちに人気なだけでなく、テナントで働くスタッフさんのお休み所にもなり、外から訪れる人もありと、さまざまな人が行き交う場になっているそう。

森の維持管理や森を活用したイベント、「まちあいとおみせ」の企画運営など、「(株)たりたり」の活動の中で水野さんが大切にしているのは、地域とのコミュニケーションです。芝生広場で小さい子ども連れの母親を見つけたら、無料貸し出しをしているゴザの利用を勧めたり、遊んでいる子どもたちから話しかけられたら、やりとりを楽しんだり。水野さんに声をかけられた人たちはみな安心した笑顔を浮かべ、そこからちょっとした会話が生まれるのです。

「一体何をしているかというと、“知り合いを増やそう作戦”なんです。ここに来たら顔見知りがいる、明るく挨拶される。そんなちょっとしたことで人は元気になれるんですよね。住む人だけでなく、働く人や訪れる人たちが自然につながって、安心して気持ちよく過ごせる場所に、少しずつ育てていきたいんです」

「ののあおやま」が大切にする10の価値観

未来の青山をつくるにあたり、街の人たちが長年にわたり議論を重ねてまとめた、青山が大切にする10のことです。

  1. 時間をつないでいく
  2. 自然との共生を志す
  3. 照葉樹林を共に育てる
  4. 文化を集め、広げていく
  5. 感性を刺激する
  6. 人が集う基盤になる
  7. 文化を集め広げていく
  8. コミュニティを育む
  9. 仕事をつむぐ
  10. まちに新たな可能性を切り開く

この10の価値観は冊子「青山まちみらい」に記されており、水野さんは「ののあおやま」が大切にすべき約束として掲げながら、まちづくりとその運営を手がけています。そして、この指針は青山に限らず、さまざまな都市開発、まちづくりに活かすべきことわりということで、多くの人の共感を得ているそうです。

地域、企業、行政。それぞれの役割を活かす「つなぎ役」

都心に大規模な森を実現させた「ののあおやま」事業。それを可能にしたのは、地域の強い思いと、その思いのもとに地域と事業者、行政をつないだ「(株)たりたり」水野さんの存在でした。事業主体者として事業を主導し、地域と一緒に森をつくりあげた東京建物株式会社の久保智志さん、三井不動産株式会社の望月俊宏さんは、プロジェクト開始時をこう振り返ります。

三井不動産株式会社の望月俊宏さん

「再開発を行う際に緑地や広場を創ることの意識は年々高まっており、コロナ禍以降、その傾向はより強まっています。ただ、建物が中心にありその付随としての認識が根強く、想いを持って森を創ることができている事業ばかりではありません。計画当時、大きな森を創ることに対して費用対効果はどうなのかという様な声はあったと思います」(望月さん)

それでも実現に向けて動いた理由を「とにかく地域の思いが強かったというのが一番」と久保さん。地域の要望を実現させることを最優先に、事業としても成立するプランにすることで事業者サイドは合意しました。

森づくりに対する地域の要望は、可能なかぎり土地本来の自然に近づけること。専門家にも入ってもらい、近隣にある明治神宮の森の生態系や植生を調査し、土地に合った樹種を選定。地形も自然にならい、起伏や水辺をもうけて多様な生き物が暮らしやすい環境をめざしました。実はこのように、都市空間に自然に近い森をつくり、維持するのは容易ではないと2人はいいます。

東京建物株式会社の久保智志さん

「できるだけ人の手を加えない管理をめざしていますが、そうはいっても、ここは都心で原生林とは異なります。親しみやすさや清潔感も大切で、落ち葉掃除は欠かせませんし、剪定もまったくしないわけにはいきません。どこまで手を加えるべきか、そして森を守るために、人の立ち入りをどこまで制限すべきか。試行錯誤はこれからもずっと続くと思いますが、都市と自然、人と自然の共生を、あきらめずに模索していきたいですね」(久保さん)

「ののあおやま」事業は地域、事業者、行政が連携して進められ、3者をつないだのが「(株)たりたり」水野さんだと2人は口を揃えます。たとえば、行政が所有している緑地は、現行制度では事業者による整備や運営管理に制限があったため、このままでは統一感のある樹林帯の整備・管理やエリアマネジメント活動を展開できないという問題がありました。

事業者は緑地の一体的な整備やマネジメントを任せてほしいと行政側と調整を進める中、突破口となったのが「(株)たりたり」水野さんの存在です。水野さんが事業者と行政の間に入り、森に対する地域の想いを伝えるとともに、地域主体の「(株)たりたり」が企業と連携し、地域のために緑地を管理整備することを行政に説明。行政は「地域のためならば」と動きやすくなり、新たなルールを設けることで交渉が成立しました。

また、竣工後はこんなことも。当時はコロナ禍の真っ只中にあり、「ののあおやま」でのイベントを開催すべきかどうか事業者側では決めかねたとき、地域当事者である水野さんが、地域の状況をみながら開催の是非を判断する役割を担ってくれたといいます。では、水野さん自身はどんなことを心がけていたのでしょうか?

「意識して動いていたわけではありませんが、今となってみれば、地域と企業、行政はそれぞれに強みや果たすべき役割があり、それを活かすようにすれば良い成果を生み出せる、ということだったと思います」(水野さん)

「ののあおやま」の緑地は現在3500平米ですが、今後、再開発の進行にともない拡大し、最大約1万平米の緑地の実現をめざしているということです。そこから10年、20年と時が経ち、青山のビルが森に包まれていく未来を、森づくりに関わった人たちは今から思い描いています。

「私が60年前の叔父のメッセージを受け取って今の活動があるように、私のメッセージも、未来の誰かが受け取ってくれるのでは。「ののあおやま」を、青山の過去、現在、未来をつなぐ場にしていきたいですね」(水野さん)