人を中心にした“まちづくり”
個性豊かな女性エンジニアを育てる奈良女子大学工学部の取り組み
1908年に設置された奈良女子高等師範学校を前身とし、1949年に新制大学として設立された奈良女子大学。国立の女子大として歴史を積み重ねてきた奈良女子大学に2022年4月、日本の女子大としては史上初めての工学部が開設されました。
一般的に男子学生の比率が高い傾向がある工学部を、奈良女子大学が新たに開設した理由とは? 工学部を立ち上げた背景や、独自のカリキュラム、学部としての今後の展望などについてご紹介します。
目次
ものづくりの現場に必要とされている女性の視点
日本のものづくりの現場には圧倒的に女性の数が足りていない。そう話すのは奈良女子大学工学部の学部長を務める藤田盟児教授です。
「ものづくりの現場に女性が少ないということは、そこから生み出されるプロダクトやサービスにも女性の視点が欠けているものが多いことを意味します。そうした状況は経済効率的にも、そして何より社会的にも良いことではありません。
これまでの私の経験を振り返って、学生たちに課題を与えたときに男女のものづくりにおける“視点”の違いを感じることがありました。例えば、公園のデザインを課題として与えたときに、男子学生は機能性や効率性を重視してデザインする人が多い。一方で女子学生の場合は、できるかぎり既存の自然を生かしたり、周囲の調和を重視したりする方向性でアイデアを考えてくる人が多い。
そうした視点の違いがあるからこそ、ものづくりの現場に女性が増えることは、ものづくりの土壌を豊かにすることはもちろん、産業や科学の発展にもつながっていく。実際に今、世界的にもジェンダード・イノベーション(性差を生かしたイノベーション)という概念が重視され始めています」
女性の理系人材が不足しているのは日本だけではなく、世界的な傾向です。しかし、その中でも特に日本は遅れている状況にある。こうした現状を国立の女子大として解決しなければならないという思いが、工学部設立の背景にはあるといいます。
「奈良女子大学は、もともと高等女子師範学校として誕生した経緯があり、歴史的にも古くから女性の社会進出を支援し続けてきた立場でもある。大学自体の存在意義を考える上でも、工学分野における女性の社会進出をもっとサポートしなければなりません」
50人いれば、50通りの女性エンジニアに育ってほしい
そんな奈良女子大学工学部が掲げているのは「人と社会のための工学」。社会の中での“生きたエンジニアリング”をめざすような教育方針が特徴です。加えて、他大学の工学部とはめざす方向性がそもそも異なるのだと藤田教授は話します。
「学部の規模をどんどん大きくしたいとか、宇宙船の研究で世界の最先端を走りたいとか、そのような部分で他大学と競争するつもりはありません。私たちが重視しているのは、女性エンジニアが社会でしっかり活躍できるよう、いかに学んでもらうか。工学部を卒業した女性エンジニアがキャリアの最後まで第一線で活躍し続けられるような、そんな社会をつくっていきたいという思いもそこにはあります」
他大学ではあまり見られない独自のカリキュラムも奈良女子大学工学部の特徴で、理数・工学系の科目にアート系・人文系の科目を加えた「STEAM +リベラルアーツ」の教育体制や、分野や学年を横断して科目選択ができる「自由履修制」をとっています。生徒の自主性や主体性を重んじる教育方針も大きな特徴のひとつですが、その理由を藤田教授に聞くと次のような答えが返ってきました。
「50人いれば、50通りのエンジニアに育ってほしいというのが私たちの考えです。クリエイションはその人自身の“個性”から生まれます。当然、個性は一人ひとり違うわけですから、ある人が社会の中で本当にやらなければいけないことがあるとしたら、それは自分の個性に合うほんの数個程度の限られたもので良いと思います。自分の個性が生きない不得意な分野の課題は、他の得意な人に任せればいいのです。そうして互いに助け合うのが社会だと思います。
エンジニアリングも同じで、自分の個性を生かせない場所でものづくりをしても、イノベーションは起きない。だからこそ本学部では、学生一人ひとりが“自分が何を解決すべき人間なのか、そのために何を選択すればいいのか”について理解を深めることを重視しています。自由履修制をとっている大きな理由もそこにあります」
個性的かつ実践的な授業とカリキュラム
この日、行われていた授業を実際に見学させてもらいました。最初に見学させてもらったのは「自己プロデュースII」の授業。この日は、マインドマップを用いた自身の思考の図式づくりに取り組む授業で、それぞれの学生が将来の夢や自己紹介をマインドマップとして図式化し、自分自身の思考を“見える化”していました。
自己プロデュースの授業を担当する講師の竹本三保さんは自身も奈良女子大学のOGで、海上自衛隊の幹部まで務めたユニークな経歴の持ち主。こうした理系分野以外のユニークな人材を教員に招いているのも、奈良女子大学工学部の特徴です。自己プロデュースの授業を工学部に開講している理由を、藤田教授は次のように話します。
「エンジニアには自分をプレゼンテーションする能力も必要不可欠。そして、どんな環境であろうと自分を主張するためには、まずしっかりした自己認識を持っておかなければならない。自己プロデュースのような授業を行う目的はそこにあります。
加えて、エンジニアリングは個人でできるものではないので、リーダーシップを取ってグループを動かしていかなければならないシチュエーションも社会に出たらきっとある。そのために今後、リーダーシップ研修のような個別のコーチングプログラムを希望者に実施することなども検討しています」
次に見学させてもらったのは「プロダクトデザイン演習」。課題として与えられたモノを生徒たちが実際に制作する演習形式の授業です。この日、学生たちが取り組んでいたのはキッチンタイマーのデザイン。各自が考えたデザインをベースに3DCADで設計を行い、3Dプリンタで出力してプロトタイプを形にしていくといいます。受講していた工学部2年生の最上和々さんにも話を聞いてみました。
「アートとはまた違った視点で、実際に使う人のことを考えながらデザインするのが楽しいです。私はもともと都市計画に興味があったのですが、建築士の資格も取りたいなと思っていて。普通の大学だと都市計画を学ぶなら土木学科、建築士をめざすなら建築学科とわかれているのが一般的ですが、奈良女子大学の工学部はその2つを両方学べる形だったので魅力を感じました。最近は都市計画だけではなく、公園の遊具づくりなど、プロダクトデザインにも興味が出てきて、やりたいことの視野が入学してからすごく広がりました」
女性エンジニアの開かれたネットワークの基盤になりたい
奈良女子大学工学部は複数の企業と連携し、中学生・高校生、高専生、大学生を対象とした女性エンジニア育成プログラム「Women Engineers Program(以下、WEプログラム)」も開催しています。サポーターとして参画する企業が、金属加工やロボット制御といった自社の強みを生かした専用プログラムをそれぞれ用意し、女子学生にものづくりを体験してもらうプログラムです。2023年度は定員110名の募集に対し、全国各地から187名もの応募があったとのこと。WEプログラムを担当している長谷圭城教授は、参加した中学生や高校生の姿を見て、次のような印象を持ったといいます。
「女性同士、同じことに興味がある仲間が集まるからか、WEプログラムに参加した学生は初対面なのに年齢を問わずすぐに仲良くなります。“金属加工をずっとやってみたかったけど、そんなこと周りの友だちにも話したことがなかった”という子も大勢いました。ものづくりに興味があるのに、それを表に出しづらいと感じている女子学生がたくさんいることを実感しました」
多くの女子中学生・高校生が進路選択の過程で理系の道やものづくりへの道をあきらめてしまう。そんな現実があることを藤田教授も指摘します。
「女性は文系、男性は理系というような固定観念が未だ根強いように、女性を工学部に進みづらくしてしまう空気が世の中にある。我々が工学部を立ち上げる際にも“学生が集まらないのでは?”と懸念する声がありました。しかし、蓋を開けてみると初年度から想定数以上の多くの学生が志願してくれました。入学した学生の中には、男子学生が大半を占める一般大学の工学部で、うまくやっていけるか不安だったという人も多い。そうした学生にとって、当校のような女子大に工学部があることは、将来の可能性や選択肢を広げることにもつながっているのではないでしょうか」
今後は工学部専属の大学院の設置や、女性エンジニアのネットワークづくりにも注力していきたいと話す藤田教授。とりわけ、学内だけに留まらない開かれた女性エンジニアのネットワークづくりに尽力していきたいと話します。
「現状では、女性エンジニアはマイノリティな存在です。そしてマイノリティに必要なのは、互いに助け合える相互扶助のネットワークです。だからこそ、学内だけに閉じない女性エンジニアの開かれたネットワークをつくっていけたらと考えています。そしてそれは、日本国内だけに留まらず、世界とのつながりも視野に入れたものでなければなりません。遠大な夢ではありますが、そうしたネットワークの基盤を提供するのが私たち奈良女子大学工学部の使命だと考えています」
今後は、地域の課題をエンジニアリング的視点で解決する取り組みなどにもチャレンジしていく動きもあるといいます。女性の理系人材やエンジニアの重要性が世界的に認識されつつある中で、奈良女子大学工学部はこれからの日本のものづくりを根底から変える基点になるかもしれません。ここで学んだ学生たちが、のびのびと自分らしい個性と能力を発揮して、社会を牽引していく日はきっと遠くないはずです。