人を中心にした“まちづくり”

「歩くまち」京都市が公民連携で課題解決 タクシーマナー問題に「ナッジ」活用

京都市都市計画局歩くまち京都推進室 三原康弘さん・松島未来さん

日本を代表する観光都市・京都が、行動経済学にもとづく「ナッジ」によるタクシー駐停車マナー向上に乗り出しました。違法停車時間が9割減るなど、目に見える効果を生んだこの取り組みの背景には公民連携の力がありました。

目次

タクシーの駐停車マナー問題、どうすれば

日本を代表する観光都市・京都。京都市は、観光がまちの持続的な発展を支え、国内外を含めた来訪者との交流が市民の暮らしを豊かにする大切な活力ととらえる一方で、世界中から人が集まるゆえに、観光地の混雑やマナー問題といった課題に直面してきました。コロナ禍においては京都のみならず日本全体でインバウンドを含めた観光需要が激減しましたが、これからはまちを以前の状態に戻すだけではなく、地域や社会の課題解決につながる持続可能な取り組みが求められています。

こうしたなか、NTTデータ経営研究所と京都市は、公民連携・課題解決推進事業「KYOTO CITY OPEN LABO」において、四条通沿道のタクシーの駐停車マナー向上を目的とした実証実験を実施。「KYOTO CITY OPEN LABO」は、京都市と、技術・ノウハウを持った民間企業などをマッチングし、行政・社会課題を一緒に解決する公民連携の事業です。観光、交通問題はもとより、公園のあり方、健康促進といったさまざまな分野で、京都市×企業がチームとして課題解決に向けて取り組んでいます。

京都市都市計画局歩くまち京都推進室の松島さんは、「京都市では、『歩くまち・京都』として歩いて楽しいまちづくりを推進しています。その一環として中心市街地の交通対策にも取り組んでいますが、その一つがタクシーの駐停車のマナーです。」と言います。京都有数の繁華街である四条通は、一部のタクシーによる交差点や横断歩道付近での客待ち、駐停車禁止の四条通本線上での客待ち停車などの道路交通法違反が多く見られ、近隣バス停におけるバス発着を妨げたり、渋滞を発生させたりするなどの問題を生んでいました。

こうした行為は、通行人や他の車にとって迷惑なだけではありません。ノンステップバスはバス停にぴったり寄せることができれば、歩道との段差を回避して乗り降りが可能なように作られています。しかし、駐停車中の車を避けて、バス停からずれた位置で停車せざるをえないと、特に高齢者や車椅子の利用者などにとっては、大変危険なのです。

駐停車禁止場所で乗車しようとしている利用者や、タクシー乗り場からはみ出して停車しようとしているタクシーが、罰則やインセンティブではなく、その瞬間に思いとどまるような啓発はできないか。「KYOTO CITY OPEN LABO」を通じた京都市からの連携募集に手を挙げたのが、NTTデータ経営研究所でした。

NTTデータ経営研究所がタクシーの駐停車マナー向上に向けて提案したのは、「ナッジ」を活用した看板設置による実証実験です。「ナッジ」とは、行動科学の知見を活用して人々のより良い行動を後押しする政策手法で、「nudge=肘でそっと押す」という本来の意味のとおり、禁止や罰金といった制限をせずに、人間の意思決定特性を踏まえた「ちょっとした工夫」で、人々の行動変容を促すものです。行動経済学者リチャード・セイラーと法学者キャス・サンスティーンが2008年の共著『Nudge』で提唱し、セイラーが2017年にナッジの活用に関してノーベル経済学賞を受賞したことでも注目を集めました。

「たとえば、コロナ禍において、スーパーのレジ前で利用者間の距離を取るために、床に『こちらでお待ちください』という意味合いで貼られた足跡マークをよく見かけるようになりましたよね。声高なアナウンスなどがなくても、多くの人がなんとなくその上に立っています。これによりソーシャルディスタンスが保たれるようになりました。ついそんな行動をする、そんな心理をうまく利用した行動の変化は、誰もが思い当たるはずです。」京都市に今回のナッジ活用を提案したNTTデータ経営研究所の小林健太郎さんは、具体的な事例を挙げてこう説明しました。

ナッジ活用でめざす問題解決

では、実際に「ナッジ」を活用し、京都市はどのような看板を設置したのでしょうか。実証実験を実施したのは2022年2月15日(火)~17日(木)の3日間(14時~16時)で、実施および効果検証の実験は2種類。まずひとつめは、交差点や横断歩道付近での違法な客待ちタクシー車両の削減をめざす実験です。このために四条河原町交差点南東角に設置したのが、四角にくりぬいた窓を設けた看板でした。

この看板は、車道側と歩道側に異なる文字やデザインを施してあるのが大きな特徴です。車道側には、大きな目玉のイラストとともに「ドライバーさん、違法停車、みんな見ていますよ」の文字。一方、歩道側には「この窓から見えるタクシーは、違法停車中です」と書かれており、窓から車道がのぞけるようになっています。車道側からは、歩道側から窓をのぞき込む通行人の顔が見えます。

看板を設置した結果、設置前調査が行われた1週間前の2022年2月8日(火)~10日(木)の3日間(14時~16時)は1日平均約45分だった違法停車時間の合計が、設置後は1日約5分と、最大9割も減少しました。四条河原町は京都市屈指の繁華街だけあって、所轄の警察署にはタクシーの違法駐停車に関する苦情も日々寄せられていましたが、「看板の設置で大幅に苦情が減ったという報告をいただきました。」と、京都市都市計画局歩くまち京都推進室の松島さんは顔をほころばせます。

ふたつめの実験は、タクシー乗り場における客待ちタクシーが本来の規定台数を超えて停車している状況を改善することをめざすものです。停車時に充分な車間距離が確保されていないことで、追突や利用者が巻き込まれる事故を引き起こす危険性もあり、問題視されてきました。同実証実験では、四条通沿道タクシー乗り場2カ所(西行:高島屋前、東行:大丸前)に、タクシーの正しい停車位置を示す看板を設置しました。

沿道に、本来確保すべき間隔を空けて、1台目先頭、2台目先頭、3台目先頭などと書かれた看板を設置することで、客待ちのタクシーが適正な車間距離を取り、規定台数以上に停車しないよう促しました。何もなければついつい前に詰めてしまうところを、目に付くものがあることで、自然とそれを目安にして停車する、という、スーパーのレジ前の足跡マークに似た効果が期待できる対策です。この結果、看板設置前に比べ、設置後では、規定台数を超過して停車する台数が1日あたり西行で約7割、東行で約3割減少したことが明らかになりました。

心理に働きかける看板の波及効果

これらの実験で興味深いのは、その成果の大きさに加え、とかく批判が集まりがちなタクシー運転手だけでなく、周囲の目に着目して、利用者・運転手双方の意識不足を追求し、課題解決を試みたことです。

京都市は、2010年に「歩くまち・京都」総合交通戦略を策定し、徒歩、公共交通を利用したスマートな移動スタイル、歩道拡幅などに取り組む一方で、同年に「京都市駐停車マナー向上マネジメント会議」を発足。道路交通法では、交差点・横断歩道・バス停付近での駐停車は禁止されていますが、観光都市としての発展とともにオーバーツーリズム(観光客の増えすぎ)が問題視されるようになっていた京都市では、交差点内でのタクシー乗降や、タクシー乗り場での停車可能台数を超えた停車などの違反が後を絶ちませんでした。

実際、京都市はこの10年、「京都市駐停車マナー向上マネジメント会議」を通じて、横断幕の掲出、フリーペーパーでの啓発などさまざまな取り組みをおこなってきましたが、特にコロナ以前には外国人旅行者を中心に観光客が急増したこともあり、タクシーの駐停車だけでなく、市全体の渋滞問題が深刻化。タクシーのマナー問題は、渋滞とともに、市民や観光客の足である市バスの運行にも影響を与えていましたが、啓発事業はなかなか効果が出ていませんでした。

運転手側からしてみると、交差点や横断歩道付近でタクシーを呼びとめる客がいれば、そこから離れて停めるわけにもいかず、ルールを知っていても徹底が難しいという側面もあります。また、過去に実施されたタクシー運転手に向けたアンケート調査の結果からは、「もうここで降りたいから停めてほしい。」、「そのバス停が一番目的地に近い。」といった利用者からの無理難題に悩む運転手の姿も浮き彫りになりました。「違法停車しようとしているタクシーだけでなく、禁止場所で無理に乗車しようとする利用者が、その瞬間、思いとどまるような技術・アイデアを必要としていました。」(京都市都市計画局歩くまち京都推進室・松島さん)

まさにそんなアイデアそのものだったのが、行動科学の知見を活かした「この窓から見えるタクシーは、違法停車中です」という看板だったのです。違法駐停車と知ってか知らずか、無茶な停車を求めがちな利用者側の心理にも働きかけるものになりました。

看板を見た多くの歩行者は、違法停車しているタクシーを窓からのぞいてみたはずです。窓からの視線を感じたタクシー運転手はドキリとし、ちょうどタクシーに乗ろうとしていた人は自分が窓の中に入ってしまわない位置まで移動したでしょう。まちを歩く人を含め、多くの人に影響を与えたという意味では、「タクシー違法駐車9割減」という数字以上の成果が得られたといえます。

また、タクシー乗り場でのタクシーの停車台数を規定内に収めるために、1台ずつの停車位置を示した看板については、この実証実験後の調査の中で、「もっと前に詰めろ、という後続車からの無言のプレッシャーを気にしなくてよくなった。」という声がタクシー運転手から上がりました。

公民連携を機能させるために

少子高齢化が進む日本では、地域の衰退に危機感を持ち、魅力ある地域づくりのために民間ならではのノウハウを必要としている自治体は数多くあります。また、京都市を含め、どの自治体も財源が豊富にあるわけではなく、財政面からも民間の力とアイデアを欲しています。しかし、実際どのように官と民が役割分担をすべきか、どのように協力体制を築けば良いか、最適解にたどり着くのは容易ではありません。

今回の実証実験では、京都市側が、現地での調査や看板の設置などを手がける一方で、NTTデータ経営研究所は「ナッジ」活用の提案やデータ分析などを担当。コロナ禍で対面での活動が制限されるなか、松島さん、小林さんらはオンラインでの議論を重ねました。

「わたしが所属するNTTデータ経営研究所は東京が拠点。本来であれば現地に何度も足を運びたいところでしたが、コロナ禍でままならないなか、京都市職員のみなさんには過去の調査結果や現場の状況やデータを提供していただきました。また、実証実験時には違法停車をしているタクシーの台数などを綿密にカウントしていただきました。これらの情報をもとに、わたしのほうは東京で効果検証の方法をデザインしたり、データを分析したりすることに集中できました。」(NTTデータ経営研究所・小林さん)。京都市都市計画局歩くまち京都推進室・松島さんも、「お互いが限られたマンパワーの中で、フラットに意見を言い合うことができました。」と強調しました。

NTTデータ経営研究所の小林さんは「公民連携というのは、発注者、受注者の関係にとらわれすぎると、実際は連携が機能しないということになりがちです。『KYOTO CITY OPEN LABO』を通じた今回の実証実験では、双方がとことん話し合うことができたからこそ、新しいものをともに生み出せたと思っています。」と述べました。また、民間企業は、技術やノウハウはあっても、それを試してみるためのフィールドを持たないため、公民連携を通じて地域をフィールドに、実際の社会課題を題材にして成果を出すという経験は貴重だと指摘しました。

実証実験の成果を高く評価した京都市内のタクシーの業界団体からは、今後このような取り組みに協力したいとの声も上がっており、ひとつの公民連携が次の公民連携の呼水になるような可能性が感じられたことも大きな収穫でしょう。

また、社会状況も地域の課題も常に変化していくものであり、それに遅れないためにも公民連携で対応を加速していくことが求められます。京都市の場合も、今後インバウンドを含め観光客が戻ってくると、また状況は変わるかもしれません。利用者が増えれば長時間の客待ちをするタクシーは減っても、乗り場に出入りする台数自体は増える可能性があると松島さんは言います。また、外国人観光客向けにはどのような工夫が必要かという議論も、今後活発化すると思われます。

日本各地の自治体で、公民連携による課題解決をよりスピーディーに進めて、社会の変化に対応していくには、密なコミュニケーションが不可欠です。そのためには、距離を克服できるツールの活用や適切な役割分担、先を読みながら柔軟に戦略を立てていく力が求められます。これらを実践してみせた京都市とNTTデータ経営研究所によるこの取り組みは、公民連携の好事例といえるでしょう。