人を中心にした“まちづくり”

”ゆるくふわっと”が地域活性化の鍵? 「ひつじサミット尾州」の取り組み

岐阜県羽島市から愛知県一宮市にかかる尾州地域は、木曽三川の豊かな水と特有の自然環境に恵まれ、日本一のウール産地として古くから発展してきました。

海外との価格競争などにより、業界全体が厳しい状況に置かれる中、創業137年の老舗繊維メーカー「三星毛糸」は、海外のラグジュアリーブランドに相次いで採用。自社ブランドの立ち上げや、ウール再生プロジェクトなどの幅広い新規事業でも注目されています。

さらに、2021年からは「ひつじサミット尾州」と銘打った産業観光イベントを開催。競合企業の垣根を越えて協力し合い、地域全体を大きく盛り上げています。

今回は、このイベントの代表発起人である三星グループ代表・岩田真吾さんに、産業観光やクラフトツーリズムを活用した地域活性化のヒントを伺いました。

目次

「地域共創の方法」としてのオープンファクトリー

三星グループ代表・岩田真吾さん。自らをひつじに寄せるためパーマをかけたと茶目っ気たっぷりに語る

新幹線の岐阜羽島駅から車で10分余り、600平方メートルの庭を含む広大な敷地の中に三星毛糸株式会社はあります。三星毛糸は1887年の創業以来、時代の変化に対応しながらも一貫して天然繊維を中心に高品質な布地やアパレル製品を製造。皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)をはじめ、国内外の多くのブランドのバイヤーが視察に訪れています。

5代目となる岩田真吾さんは、慶應大学を卒業後、三菱商事やボストンコンサルティングを経て、27歳で家業を継ぐことを決意しました。東京でキャリアを築いていた岩田さんが地元に戻ったのは「その方がユニークな人生になる」という直感から。さらに「今思えば、地方で企業活動を担うという選択に、社会的意義や、従来の資本主義とは異なる新しい価値を見出していたのかもしれません」と当時を振り返ります。

一方で、岩田さんは地元に戻った頃の自分を「とがっていた」と表現。東京で得た知識や経験を生かして自社を変えようと意気込み、古い慣習や馴れ合いに囚われないように…と、同業者間や地域内の交流においては「つかず離れず」の距離感を保っていました。

「仲介者を挟まず自分たちで海外ブランドと交渉し、三星の事業をグローバル化することや、自社アパレルブランドの立ち上げによって、尾州産ウールの魅力を世の中に伝えることに意識が向かっていました。自社の利益が伸びることで、間接的かつ波及的に、地域にポジティブな影響を与えられたら、というくらいのスタンスでいたんです」

尾州の高品質な素材と、熟練の職人の丁寧な仕事ぶりによって、LVMHなど海外のビッグメゾンとの取引も多い三星毛糸

そのビジョン通り、岩田さんが社長に就任して3年後の2012年、三星毛糸はパリの高級生地見本市「プルミエール・ビジョン」に出展し、名だたるブランドから注目を集めます。さらに2015年には、イタリアの高級ブランド、エルメネジルド・ゼニアが日本の職人とコラボする「Made in Japanコレクション」で、三星毛糸の生地が選出。同年には、自社ブランドを立ち上げ、ウールの機能性を活かした「23時間を快適にするTシャツ」を企画販売。Tシャツ部門で、当時のクラウドファンディングの日本記録を達成しました。

尾州地域や繊維産業への貢献を考えながらも、まずは自社の成長に注力していた岩田さん。しかし、新型コロナウイルスの影響を受け「自社をこの地で持続させるためには、地域に対してもっと直接的に働きかける必要がある」と、考えを大きく転換することになります。

「ウールの一大産地としての尾州の特徴は、大小さまざまな工場が分業しながら、産地全体でものづくりを続けていること。三星だけが生き残っても事業は成り立ちません。コロナ禍でアパレル市場が冷え込む中、地域のプレーヤーがつながることで少しでも産地を活性化させたいと強く思いました」

そこで岩田さんは、産地全体で工場やものづくりの現場を公開するオープンファクトリーイベントを考案。繊維産業の歴史や文化、技術を体験できる「産業観光」を実践するアイデアです。この構想を実現するため、岩田さんは尾州地域の同業者や関係者に声をかけ、11人の共同発起人とともに、民間主導の実行委員会が組織されました。

「ReBirth WOOL」というウールの再生プロジェクトなどサステナブルな活動にも力を入れている。約50年前のリーフレット(写真右)にも「わたくしたちは自然環境を大切にしています。」という文字が

民間主導のイベントで、“ゆるさ”と“自由度”を担保

そうして2021年に始まったクラフトツーリズムのイベント「ひつじサミット尾州」は、地元企業50社以上が参画し、コロナ禍における産業観光イベントとして国内最大規模の約1万5,000人を動員しました。BtoC向けのファクトリーブランドやポップアップストアの立ち上げなどにより、初年度にして1,000万円以上の売上を達成。その後も毎年開催され、累計5万人以上のゲストを迎える一大イベントに成長しています。全国各地でクラフトツーリズムのイベントが開催される中、ひつじサミット尾州がとりわけ注目される理由はどこにあるのでしょうか。

そんな疑問に対して岩田さんは「『尾州』という地域軸と、『ひつじ』という産業軸を掛け合わせたことで、繊維に関わる作り手と使い手がつながるのはもちろん、よりひらかれた産業観光の新しい形を提案できたことが大きいのではないか」と答えます。

一般的に、地域イベントは県や市、地方自治体など、現在の行政区分に沿って設定されることが多いもの。しかし、ひつじサミット尾州では、旧・尾張国の通称である「尾州」という歴史的な地域区分を採用しました。その理由を岩田さんは、「僕たちにとって、尾州にこそ繊維産業の営みがあるというリアルな感覚があるから」と話します。

ただ、現在の岐阜県羽島市から愛知県一宮市の2県をまたぐこの地域設定は、参加企業の取りまとめや、県単位での自治体への後援や補助金の申請など、労力が何重にもかかります。ただでさえ、限られた資金と時間の中で運営されている民間主導のイベントにおいて、その労力の大きさは言うまでもありません。しかし、岩田さんはこの状況を前向きに捉えました。

「『尾州地域全体のイベント』とすることで、愛知県一宮市約38万、愛知県津島市約6万、岐阜県羽島市約7万、合わせて約51万人もの人を巻き込むことができます。さらに、県を越えているからこそ、経済産業省からの支援も得ることができました。自治体主導のイベントは、どうしても『そこに住んでいる人のためのイベント』になりがちな面があるかもしれません。ひつじサミット尾州は民間主導だからこそ、行政区分を問わず、地域内外にもひらくやり方が実現できたと思います」

しかも、産業軸を“ウール”ではなく、あえて平仮名の“ひつじ”という柔らかく抽象的なイメージに託していることにも表れているように、ひつじサミット尾州は「ゆるさ」を大事にしています。繊維産業という業種を越えて、尾州に関わる地域のプレーヤーが幅広く参画できる仕組みも意識していると岩田さんは話します。

実際、ひつじサミット尾州では、繊維業界のオープンファクトリー(工場見学)以外にも、ワークショップや食育体験、サステナビリティについて学べる企画など多彩なコンテンツが提供されています。このようにゲストが興味を持ちやすい接点を多く設けることで、地域に対する興味や関心を引き出し、尾州に関わりたいと思う人を増やす。つまり、産地における“かかわりしろ”を増やす仕組みがつくられていました。

地域コミュニティベースでDXと研修をシェア

災害時における地域貢献にも積極的に取り組んでいる。会社のスペースや物資を防災対応にし、地域住民が災害時に利用できるように整備

さまざまな観点から尾州地域を活性化する試みを実践してきたひつじサミット尾州。2024年10月25日〜27日に開催される4回目のイベントについて、岩田さんは「成熟期に入ってきたのかもしれない」と話します。その言葉通り、イベントの原点となったオープンファクトリーの取り組みが、尾州地域のさまざまな課題解決の糸口になり始めています。

「オープンファクトリーを通じて、競合関係にある企業同士が、それまではタブーとされていたお互いの工場への見学を初めて行うきっかけになりました。最初はライバルに自社の工場を見せることに抵抗があったかもしれませんが、実際にやってみると、プロ同士が互いの環境を見て学び合い、ときにはアドバイスし合う、良い関係が生まれたんです」

こうした産地企業同士のゆるやかな連携から生まれた地域課題の解決例の1つが、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進です。「オープンファクトリーとDXを意識的に結びつけているのは、全国でもまだ尾州だけかもしれません。2024年には、ひつじサミット尾州の参加企業で、尾州DX推進コミュニティ(通称『ひつじコミュニティ』)も立ち上げました」と岩田さんは話します。

このコミュニティでは、参加企業がお互いの工場見学を通じてデジタル関連の課題を共有。国の補助金や専門家の提言も活用しながら、まずはバックオフィスのデジタル化から進めています。中小企業が個別にDX推進を行うのは困難も多いですが、コミュニティでのシェアリングにより負担を軽減できると岩田さんは説明します。

「今年は三星ともう一社が共同出資で生産管理システムのクラウド化にチャレンジする予定です。さらに、今後ほかの企業もプラットフォームとして利用できるよう、各企業がIDでログインできる拡張性を持たせるつもりです。また、ひつじサミット尾州でつながった企業が集まり、ダイバーシティ&コミュニケーション研修を一緒に行いました。こうしたシェアリングの事例は、尾州以外の地域や他業界ともぜひ共有していきたいですね」

「ゆるくふわっとつながる姿勢」で持続可能性を高める

地域に多くの好循環を生み出してきたひつじサミット尾州ですが、まだ解決すべき課題が残っていると岩田さんは話します。もともと尾州は、織物生産に適した豊かな環境を持ち、イタリアのビエラ、イギリスのハダースフィールドと並ぶ、三大毛織物産地の1つとして知られる場所。しかし、近年の原材料高騰や為替変動などの影響で、主体であったBtoB領域の景気が世界的に低迷していると言います。

「ひつじサミット尾州で、新たにBtoCの可能性を開拓できたのは喜ばしいですが、産業全体の生き残りを考えると、このイベントだけで万事解決できるわけではありません。やはり、今あらためて尾州産地の国際競争力を高めることが必要です。そのためには、各企業が切磋琢磨する“競争”と、みんなで協力して全体のレベルを底上げする“共創”、その両方の視座が大事だと感じます。具体的には、生地のデザインや品質は競争すべきですが、バックオフィスの整備などは産地企業同士でもっと協力しあってもいいのではないかと」

最後に、今年のひつじサミット尾州への見どころを尋ねると「今回は平日の金曜日から開催されるため、工場見学で実際に機械が動く様子を体験できると思います。土曜日の中夜祭では、尾州にゆかりのあるアーティストが登場予定ですし、地域活性化リーダーによるトークセッションも各日開催されますよ」と、今年も連日コンテンツが目白押しの模様。

「今回のテーマは『工場も、こころも”ひらく”オープンファクトリー』です。初年度からオープンな姿勢を大切にしてきましたが、4年目の今、あらためてこのメッセージ発信したいと考えています。というのは、どんなコミュニティも年月が経つとどうしても同質化して見られるもの。ですから、メールなどで多くの人にイベントについて案内する手間を惜しまなかったり、収支や会計について細かなことまでチームに周知共有したりと、一つひとつは地道なことの積み重ねであっても、誠実に地域内外に”ひらく”姿勢は持ち続けたいんです。とはいえ、僕たちは民間主導の、完全にボランタリーなコミュニティです。持続可能な取り組みにするために、無理せず続けることを大事にしていきたいですね。数年に一度開催されるアートイベントのように、無理に毎年開催しなくてもいいかなとも思っています」

イベント当日だけではなくプロセスも楽しんでもらう目的で、今年はクラウドファンディングで、ひつじサミット尾州をともに盛り上げるサポーター「ひつじ団」を限定募集する取り組みにも初挑戦。「これまでは、工場を“ひらく”ことでゲストを呼んでいましたが、今回は“ひらく”までの準備段階から、より多くの人や才能を巻き込みたいと思っているんです」と岩田さん。

「活性化した地域とは、傑出したヒーロー的存在が1人だけいるのではなく、地域外の関係人口も含めた複数のプレーヤーがそれぞれの個性を発揮し、成果を上げている場所ではないでしょうか。そして、そのプレーヤー同士が、ゆるくふわっとつながっている状態が理想的だと思います。尾州はそんな地域をめざしていきたいですね」

尾州産地を徹底的に“ひらく”ことで、地域を活性化しているひつじサミット尾州の活動。外部環境の変化に圧倒されることもある中、ゆるやかに人々がつながり続けることで、手触りのある確かな成果を生み出している岩田さんたちのアプローチは、遠回りに見えて確実なまちづくりのインスピレーションになることでしょう。

作り手と作り手、作り手と使い手が、毛糸のようにつながりながらやっていきたいという考えのもと作られたイベントロゴ