人を中心にした“まちづくり”
ひらくことが資産に。「ひつじサミット尾州」に学ぶ産業観光の始め方
「ひつじサミット尾州」は、愛知県と岐阜県にまたがる日本最大の毛織物産地、「尾州」地域を舞台に開催される産業観光イベントです。持続可能な産地をめざして2021年から毎年開催し、3年間でのべ5.5万人を動員する一大イベントに成長。一般にはほとんど知られていなかった尾州の名を全国に広めるとともに、イベントを契機に参加企業の連携も生まれるなど、産業観光を通じた地域活性化が注目を集めています。今回は、2024年10月に3日間にわたり開催された「ひつじサミット尾州2024」を訪ね、イベントの魅力や取り組みの工夫を探りました。
目次
持続可能な産地をめざす、産地一体のオープンファクトリーイベント
愛知県一宮市、岐阜県羽島市を中心に広がる尾州では、紡績、撚糸(ねんし)、製織(せいしょく)、染色といった、糸から生地になるまでの多様な工程を地域内で分業し、一帯が大きな毛織物工場のように機能しています。この地域の大小さまざまな工場を一般開放する大規模なオープンファクトリーイベントが「ひつじサミット尾州」です。
イベントの発起人は、岐阜県羽島市にある三星グループ代表の岩田真吾さん。慶應義塾大学卒業後、三菱商事やボストンコンサルティングを経て、27歳のときに家業の高級生地メーカーを継ぎました。当時、繊維産業は安価な輸入商品に押されて衰退し、三星グループの業績も悪化していましたが、岩田さんは海外展開や自社ブランドの立ち上げなど新しい取り組みを次々と行い、業績を好転させます。
そんな中、コロナ禍が繊維産業を直撃。まわりの企業が次々と倒産していくのを目の当たりにした岩田さんは、「このままでは産地が消滅しかねない」と強い危機感を抱きます。そこで「存続のためには自社だけでなく、産地の連携が不可欠」と、産地全体で工場を公開するオープンファクトリーイベントを構想。作り手と使い手を直接つないで、尾州ウールの魅力を広く伝えると同時に、単なる下請けではない新たな価値を創出し、持続可能な産地を実現するアイデアです。
三星グループ代表・岩田真吾さん
岩田さんの提案に賛同した11人の有志が集まり、実行委員会を結成して2021年に「ひつじサミット尾州」を初開催。コロナ禍にもかかわらず地元企業51社が参加し、1万2,000人が来場し、売上も1,000万を超える成果をあげます。その後も毎年開催し、2023年には来場者数が2万4,000人に達しました。
業種や地域の垣根を超えてさまざまな企業が協力し、尾州の魅力を「面」でアピールするスタンスが効果をあげ、尾州の認知度は向上。ファクトリーブランドの立ち上げや、オープンファクトリーが採用活動につながるケースも増えています。また、かつてはライバル関係にあった企業間にも協力関係が構築され、企業同士の協業や、企業横断でDXを推進するコミュニティの発足など、副次的な効果も生まれています。
地域にポジティブな変化をもたらしている「ひつじサミット尾州」。イベントでは実際、どんなことが行われているのでしょうか? 次は、三星毛糸によるオープンファクトリーの内容をご紹介します。
尾州のものづくりを伝える、社員手づくりのオープンファクトリー
穴を空けたカードに糸を通し、カードをくるくる回すことで織っていく「カード織り」。その歴史は古く、紀元前にまで遡るそう、右が完成したミサンガ。
三星毛糸のオープンファクトリーでは今年、「尾州のものづくりをより深く体験してもらおう!」という社員の発案で、新しい取り組みを行いました。その1つが、初開催となる「カード織り体験」。カードと糸を使ってミサンガのような紐を織りながら、織物がどうやってできるのかを学べるワークショップです。
会場をのぞくと、色とりどりの糸とカードを手に奮闘する参加者たちの姿が。「糸が絡まる!」「間違えたー!」「織る前の段階がこんなに大変だとは…」などと苦戦している様子。それでも、三星毛糸のスタッフにサポートしてもらいながら、糸を準備する工程から実際に織りあげるまでを体験。少しずつ模様ができていく楽しさや、完成したときの喜びを味わいました。なかには、できあがったミサンガを早速バッグにつけて大切に持ち帰る人や、「次こそはもっと上手くつくる!」と意気込む人の姿も。
オープンファクトリーの企画運営に携わるテキスタイルデザイナーの森谷さんは、初めての試みについて「少し難易度が高かったかもしれませんが(笑)、大変だった分、ものづくりの価値も感じていただけたのでは。織物もより身近に感じてもらえたと思います」と笑顔で語りました。
参加者にカード織りのレクチャーを行う森谷さん
また、毎年恒例の「工場見学」もリニューアル。これまでは岩田さんなど会社を代表する人がツアー全体のガイドを行っていましたが、今年は工程ごとに現場の職人が直接案内するスタイルに変更しました。そこにはこんな意図が込められていると森谷さんは話します。
「職人が日々、織物と向き合いながら感じていること、伝えたいことを自分の言葉で話すことで、私たちの技術やこだわり、そして尾州ウールの魅力がより深く伝わるはずです。職人にとっても、新たな気づきや刺激を得る機会になります」
三星毛糸の織物工場「オリスタ」の案内役を務めたのは、織物職人の上川さん。機械を巧みに操りながら、糸から生地ができるまでの工程を分かりやすく説明していきます。糸を1本1本、手作業で織機にセットする工程では、参加者はその職人技に目を見張り、織物が人の手によってつくられていることを実感。織り上がった生地を見せながら「こちらはリネンで、こちらはウールです。ぜひさわって、風合いの違いを感じてみてください。拡大鏡で見ると、織り目の違いもよく分かりますよ」と参加者に呼びかける上川さん。その姿からは、織物への情熱と職人としての誇りが伝わってきます。最後にフリータイムも設けられ、参加者は機械を自由に見たり、職人と話したりと、ものづくりの現場を満喫しました。
参加者に、糸から生地ができるまでの工程を説明する上川さん
工場見学の構成は、上川さんを中心に工場のスタッフが考案。尾州にある他の工場見学にも参加し、分かりやすく伝えるために試行錯誤を重ね、予行練習を何度も行ったそうです。
上川さんは、2年前の「ひつじサミット尾州」をきっかけに三星毛糸に入社しました。三星毛糸の工場見学に参加し、機械と手作業が共存するものづくりに惹かれたといいます。今回、案内役を務めた感想を「織物が機械で織られる様子を間近に見る機会は、なかなかありません。そのワクワク感を、ぜひ参加者の方に体感してほしいという思いで臨みました。これをきっかけに尾州の他の工場にも足を運び、織物の魅力にはまってもらえたら」と話してくれました。
ラムの丸焼きを解体する酒井伸吾さん
連日たくさんの聴衆で賑わったトークセッション
オープンファクトリーでは他にも、羊とのふれあいや、羊飼いの酒井伸吾さんが育てた羊の丸焼きをみんなで分け合う食育体験などが人気を集めていました。さらに、全国各地で活躍する地域活性化リーダーによるトークセッションも3日間連続で開催され、毎回たくさんの聴衆が参加。ファクトリーストアでは尾州ウールのアイテムの他に、余った毛糸も販売され、手芸好きの参加者にも喜ばれていました。
外にはキッチンカーも並び、広々とした庭でドリンクやフードを楽しむ人の姿も。夜には地元の人気アーティストによる「ひつじライブ」も開催され、多彩なコンテンツで子どもから大人まで楽しんでいました。
ライブには地元出身の人気アーティストで、「ひつじサミット尾州」アンバサダーのSEAMOさんが登場し、イベントオリジナルソング『紡ぐ』を披露
尾州の資産を、全国のものづくり産地の資産に
取材中、“ふわっと”酒井さんに「2027年のひつじ年まではイベントに出てほしい」と話す岩田さん
岩田さんは「ひつじサミット尾州2024」を次のように振り返ります。
「参加企業の社長として一番うれしかったのは、社員自ら『毛糸を使ったワークショップをやってみたい』『余り毛糸を販売してみてはどうか』などと、いろんなアイデアを出して形にしてくれたことです。これまで4回の開催を経て、社員にも確実に変化が起きていることを実感できました。“一番ほしかったもの”をもう手に入れちゃったかも?と思うくらい、うれしかったですね」
一方、実行委員長としては、今年のテーマ「工場も、こころも“ひらく”オープンファクトリー」に沿って、新たな試みを行いました。まずはイベント開催までのプロセスをひらこうと、イベント準備を一緒に楽しむ仲間「ひつじ団」を募集。集まった200人の団員は、オンライン上で実行委員会にもオブザーバーとして参加できるようにしました。
「イベントをつくるプロセスには、これまでの継続開催で積み上げてきた知識、経験も詰まっています。それをすべてオープンにしました。予算組みの様子も公開し、『これで足りるの?』なんてやり取りも丸見えです(笑)。団員のみなさんからも、私たちにはない素晴らしいアイデアがたくさん集まり、一緒にイベントを盛り上げることができました。こうして場を“ひらき”、さまざまな人が集まりつながることで『ひつじサミット尾州』に知見がどんどん蓄積されていきます。それは尾州だけでなく、日本全国のものづくり産地の資産になると思っています」
「ひつじ団」に入るともらえるステッカー
そこで岩田さんが強調するのは、「尾州のためだけにやっていたら、誰も集まらない。他の産地が衰退し、尾州だけが生き残ることはありえない」ということ。
「たとえば今回のトークセッションには、全国から20人もの地域活性化リーダーが登壇し、それぞれの知見や成功事例を惜しみなくシェアしてくれました。『ひつじサミット尾州』で伝えることが、尾州だけでなく、自分たちのため、そして日本の未来のためになると考えているからこそです」
岩田さんは、トークセッションの模様も動画やテキストで記録し、多くの人が役立てられる形で活かしていくといいます。最後に、オープンファクトリーのイベント開催を検討している方に向けてメッセージをいただきました。
「ゆるくふわっと始めましょう。工場があれば、会場を借りる必要はありません。ガイドだって社員さんができますし、土日にやらなくても平日の出勤日に時間を区切って開催したっていい。必要なのはウェブサイトくらいですが、SNSで代用できるならコストはもっと抑えられます。要は自分の家に人を招くホームパーティーのようなものなので、地域全体で少しずつ持ち寄って、100万円も集まれば充分開催できると思います。とてもハードルの低い地方創生だと思いますよ」
仲間集めについても「ゆるくふわっと声をかけまくってください。ゆるくふわっと誘えば、断られても傷つくことはありません(笑)」と岩田さん。今回のトークセッションの登壇者も、楽しくお酒を飲みながら“ふわっと”誘って応じてくれた人ばかり。初年度から参加している羊飼いの酒井慎吾さんも、岩田さんたちが「“ひつじ”と銘打つからには、羊飼いの方にご挨拶を」と酒井さんのもとを訪ね、「流れでイベントに来てくれることになった」というゆるさです。
「ゆるく、ふわっと始めてみる。そこから少しずつ、輪が広がっていきますから」
「ひつじライブ」で、出演アーティストのマジカル♡パレード BEACHと一緒に踊る岩田さん
※尾州ウールについての岩田さんへのインタビュー記事はこちら