アドバイザー活動紹介

努力をしても報われない現状を変革し
伝統産業にかかわる問題を解決する仕組みをつくりたい

現役時代はヨーロッパのトップチームで活躍し、サッカー日本代表としてFIFAワールドカップ3大会連続出場に貢献した中田 英寿氏。現役引退後は国内外を旅し、2015年にJAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立。日本酒の魅力を世界中に伝えるための活動をスタートさせている。現在は、世界的な和食ブームが到来し、日本酒の海外需要が高まる中、日本酒の世界市場の創出に向けてプラットフォームの開発に取り組んでいる。現在の事業を始めた経緯とその内容について話を聞いた。
(取材時期:2020年9月)

現役引退後、日本文化を知るため全国47都道府県を踏破

2006年のFIFAドイツワールドカップを最後に、中田氏は現役を引退。引退後は世界中を回り、サッカー後の人生を模索する旅を続けた。そのとき、何度となく「日本人としての自分」を自覚する機会を得たという。
「子どもの頃から大好きだったサッカーをやり続けてきた結果、プロになった僕にとって、『生きていく』ことと『好きなことをやる』ことは同義なんです。自分が今後生きていく上で、打ち込めるものは何だろう。それを知るために、まずは海外を回りました。そうすると、どの国に行っても日本のことを聞かれるわけです。日本の文化や観光について聞かれても、答えられないことが多かった。『中田 英寿』という個人である以前に、『日本人としての自分』って何だろう。それを知るために、まずは日本文化について勉強しないといけないのではないか――そう思ったのが、今の活動を始めたきっかけです」

株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY 代表取締役
中田 英寿氏

1977年生まれ。山梨県出身。1995年、Jリーグ ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に入団。1998年、イタリアセリエAのA.C.ペルージャに移籍。以後、5チーム8シーズンにわたってヨーロッパのトップチームで活躍。日本代表としてW杯に3大会連続出場。2006年、29歳で現役を引退。引退後は、世界を旅し、2009年1月に一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATIONを設立。さまざまなプロジェクトを実施。一方で、日本文化を知るために、全国47都道府県をめぐる旅を7年半かけて実施。この旅をきっかけに伝統文化の魅力に触れ、2015年、株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立。日本酒や伝統工芸に関する事業を展開。

帰国後、日本の歴史や文化について学ぼうと考えたが、今はインターネット上にあらゆる情報が氾濫する時代。誰もがアクセスできる知識を仕入れたところで、それが自分の付加価値につながるとは思えなかった。「自分にしか出来ないこと」が大事。それを模索しながら、文化について考えた。
「ある一定の行為が、一定期間以上続いたときに、それは『文化』として認知されるのではないか。気候や地形などの自然環境によって生活スタイルが変わり、衣食住の文化になっていく。とすれば、日本文化を学ぶということは、地域の自然の中で育まれた日々の“生活”を知ることではないか。それを理解するためには、実際に全国を回る必要があるのではないか。そう思い、何百年と続いてきた地域で育まれた工芸や日本酒、農業をメインに見て回ろうと考えました」
沖縄から北海道まで、日本列島を車で縦断する「20万キロ・一筆書きの旅」。全国47都道府県を巡る旅は7年半に及んだ。知識ゼロからの出発ということもあり、最初は農家や工芸家、日本酒の蔵元の方々に話を聞いても理解できないことが多かった。だが、知識が増えれば増えるほど、職人の技術の高さに驚き、ものの見方が変わっていく自分がいた。突然、日々の生活が楽しく、豊かになっていくように感じた。

探究の果てにたどり着いた日本文化、伝統産業にある魅力

中田氏は、食材や器の知識を身につけたことで、食事が楽しくなり、料理人とも会話が弾むようになる。自分で選んだ日本酒を同行した友人に紹介すると、それまで日本酒に興味がなかった友人が、どんどん日本酒を好きになっていく。そうした経験を経て、日本文化や伝統産業についての考えが大きく変わっていったという。
「よく『伝統産業が衰退するのは、若い人が伝統的なものに興味がないからだ』と言いますが、そうとも限らないのではないか。むしろ、伝統産業の魅力がきちんと伝わっていないからではないかと思うようになりました。どうして、魅力がきちんと伝わっていないのか。その最大の要因は、生産者と消費者とをつなぐ『情報』と『物』の流通が滞っているから。この問題を解決すれば、日本の素晴らしい伝統産業がもっと伸びるきっかけになるのではないか、と考えたのです」
近年、伝統産業でもインターネット通販に乗り出す事業者が増えてきたとはいえ、古くからの商習慣が色濃く残る業界の仕組みに割って入るのは容易ではない。そこで、中田氏が目を付けたのが、空前の和食ブームに沸く海外市場だった。
「和食のレストランは世界的に増加しており、今後は日本酒や工芸、農業などの分野でも、海外輸出が伸びていくことは明らかです。ところが、この分野で体系化した仕組みをつくっている人は、まだあまりいない。そこにはブルーオーシャンがあり、ゼロから仕組みをつくりやすい状況にあると考えました。ただし、工芸や農業は海外の競合も多く、農業に関しては輸出規制も多い。日本独自のもので、比較的厳しい規制のない商品は何だろうと考えたときに、行き着いたのが日本酒だったのです」
現在、日本酒の海外市場は急速に拡大している。2019年度の日本酒の輸出総額は、前年比5.3%増の約234億円。10年連続で過去最高を更新する好調ぶりだ。
だが、グローバルに情報と物流を動かす仕組みをつくらない限り、日本酒がワイン並みの世界的なマーケットを獲得することは難しい。そこで、まずは情報を流通させる仕組みをつくるため、アプリの開発に着手。日英2カ国語で日本酒の情報が検索できる「Sakenomy(サケノミー)」を開発した。
「今、市場に出回っている日本酒のラベルは、外国人にはもちろん、日本人にもなかなか読めないものが多いです。商品名が読めなければ注文もできませんから、それを買う人間はいない。そこで、ラベルをスキャンしたり文字検索するだけで日本酒の銘柄が検索できる『Sakenomy』というアプリを開発し、誰でも簡単に情報を入手・記録できる仕組みをつくりました」

日本酒情報検索アプリ「Sakenomy」
ラベルをスキャンしたり、文字情報を入力するだけで日本酒の検索が可能。銘柄の特徴や蔵元のこだわり、地元のお薦めなど、多彩な情報を日英2カ国語で発信している

ブロックチェーンを活用し「温度管理」と「偽造品」の問題を解決

次に着手したのが、物流の改革である。人気が高い日本酒の銘柄は、おのずと販路も限られる。そこで、中田氏は全国400以上の蔵元を回り、選りすぐった銘柄を集めた日本酒イベントもプロデュースすることで、蔵元とのコネクションづくりに務めた。
その上で、まだ流通ルートが確立していない海外市場の開拓に着手。だが、それには乗り越えなければならない、大きなハードルがあった。それは、日本酒の「温度管理」の難しさだった。
日本酒は麹菌や酵母菌の力によって育つ“生き物”であり、美味しさを保つためには、適切な温度管理が欠かせない。ところが、日本酒の世界ではワインセラーのような保管設備が普及していないため、ひとたび蔵元の手を離れれば、品質劣化のリスクにさらされることとなる。
「日本酒やワインなどの醸造酒は、適温で管理できなければ長期保存はできません。もしこの世にワインセラーが存在しなければ、世界中でワインが流通することもなかったでしょうし、長期保存が出来ないので、価値が高くなることもなかった。日本酒の海外輸出を成功させるためには、きちんと温度管理された日本酒が、世界中の消費者に届く仕組みをつくり上げる必要がある。そこで僕たちが始めたのが、『日本酒専用セラー』の開発であり、『日本酒物流の仕組みづくり』でした」

日本酒専用セラー「SAKE CELLAR(サケセラー)」
JAPAN CRAFT SAKE COMPANYがアルテクナ、さくら製作所と共同で開発。マイナス5℃~20℃に対応し、日本酒はもちろん、同時にワインもこの1台で品質を保ちながら長期保存を可能にする

蔵元から出荷された日本酒が、消費者のもとに届くまでに、どのような経路をたどるのか。それを把握する仕組みはないのが現状だ。こうした流通経路の不透明性は、さまざまな問題を引き起こしつつある。その1つが前述の「温度管理」の問題であり、もう1つが「偽造品」の問題だ。現在、アジアでは、日本酒の有名ブランドの偽物や悪質な並行輸入が横行しており、日本酒の信用を損なう大きなリスクとなりつつある。
「そこで、僕たちは物流のプロセスにおいて、日本酒を1本1本“管理する”仕組みをつくろうと考えました。“管理する”ということは“信用をつくる”ということ。物流は生産者と消費者の双方に対して信用をつくらなければならない。つまり、蔵元が出荷した商品が、確実に良い状態で消費者の手に渡るような物流の仕組みをつくり、商品のトレーサビリティを確立することが重要だと考えたのです」
そのための手段として、中田氏はブロックチェーンの技術に注目。「Sake Blockchain」の開発に着手した。これは、日本酒の生産地から配送経路や日本酒の成分、温度記録に至るまで、サプライチェーン全体の情報を記録・共有する仕組み。流通を確認できるため偽造防止も可能となり、温度記録も参照できるため、サプライチェーン全体で適切な温度管理を行うための対策を講じることができるという。

IoTを活用して、新たな伝統産業のプラットフォームを構築

「この『Sake Blockchain』を使えば、蔵元さんは、各国ディストリビュータの在庫状況から、個々の商品のレストランでの販売状況、温度管理の状況をチェックできるようになります。地元にいながらにして、日々、自社の商品がどの国のどのレストランで売られているのか、どの国ではどんな味の日本酒が好まれるのか、棚卸や温度管理の状況はどうか、といったことがすべて把握できるようになるわけです」
もちろん、ブロックチェーン上で収集されたデータは、マーケティングに活用することも可能だ。蔵元が地域別・銘柄別の販売動向を見て、販売戦略の立案や商品開発、価格の見直しを効果的に行うこともできるようになる。

Sake Blockchainの仕組み
日本酒のサプライチェーン全体の情報をブロックチェーン上で記録・共有する仕組み。瓶のラベル上の二次元コードをスキャンするだけで、生産地や配送手段、日本酒の成分などの詳細な商品情報が見られ、偽造品防止や温度管理、マーケティングなどに役立てることができる

「これらのデータを活用すれば、国ごとに好まれる商品を重点的に輸出したり、売れ行きを見て各国間の在庫を調整したりできるので、一切のムダがなくなります。また、焼き鶏や天ぷら、お寿司といった料理と日本酒の相性をデータ化すれば、レストランに対して最適な組み合わせを提案することも可能になる。この仕組みを使えば、日本酒のマーケットは世界規模で広がっていくでしょうし、焼酎や味噌・醤油、工芸品、青果物といったほかの伝統産業に転用することもできる。つまり、『IoTを活用して、伝統産業が成長していくための新しいプラットフォームをつくり上げる』ということを、僕たちは目標としています」

今、皆が必要としていることを、100年先まで続く仕組みとして構築する

日本酒における構造的な問題はまちづくりにもいえる、と中田氏は指摘する。
「まちづくりにかかわる事業者は、居住者が“できること”を増やしてあげる仕組みをつくるのが、本来の役割だと思います。しかし現状は、生活のインフラにかかわる部分の電子化やデータ共有が進んでいません。例えば商標登録1つとっても、いまだに電子化が進まず、調査に膨大な時間とコストを要するわけです。つまり、ビジネスや生活のために、ムダな時間とコストをかけている。それを集約して簡単にすることがスマート化だと思います。生活に近い部分でスマート化が進めば、ストレスが軽減されて生活は今よりもっと楽になる。僕たちが酒や工芸、農業に特化しているのも、毎日の生活をスマート化することが、人々の幸せに直結すると考えているからです」
その意味で、「今のスマートシティの考え方は、コンセプトばかりが先行しがちで、目の前の問題解決にあまり目が向いていないのではないか」と中田氏は指摘する。
「数年後によい結果を出すことも大切ですが、もっと必要なのは、今、直面しているムダをいかに失くすかということ。今、皆が必要としていることを、100年先まで続く仕組みとして構築していく。それがまちづくりのあるべき姿だと思います。僕たちも、日本酒を世界に届けるためのプラットフォームを、100年先まで続く仕組みにしていかなければならない。限られた人間の利益にしかならない通販サイトにするのではなく、業界全体が末永く繁栄できるような仕組みに育てていけるかどうか。それがカギだと思っています」
現在、2021年の完成をめざしてプラットフォームをテスト中。既に全国の蔵元や日本酒関係者の間では、プラットフォームの完成を待望する声も高まりつつある。
「僕たちがやろうとしているのは、日本酒にかかわるすべての人たちの問題を解決できる仕組みをつくること。プラットフォームを通じてデータを収集し、皆の問題を解決するために有効活用していきたい。僕がこの仕事に取り組んでいるのは、何よりもそこにいる人たちが好きだから。そして、重要なのは『できる』からではなく、『誰もやっていない』から。そうでなければ、僕がやる意味がない。誰もやっていないことを創り上げていくのが、自分の生きがいですから」
海外トップリーグで活躍する日本人選手の先駆者として、常に日本サッカーを牽引する存在であり続けた中田氏。今、日本酒と日本文化という新たなフィールドを得て、再び「世界」への挑戦を続けている。