アドバイザー活動紹介

人間は芸術で社会をよくしようとしてきた
人が人らしく生きられるまちづくりとは

近年、都市計画でパブリックアートや美術館が設置されるケースも増え、芸術はまちに欠かせない要素の1つとなりつつある。一方、公共空間と芸術家のコラボレーションにより、魅力的な住環境をつくるためには、高度な知見とバランス感覚が求められるのも事実だ。まちづくりにアートを活用する意義とは何か。生活とアート、スマートテクノロジーの融合は、都市にどのような可能性をもたらすのか。美術評論やアート・プロデュース、都市計画など、幅広い分野で活躍する伊東 順二氏に話を聞いた。(取材時期:2020年8月)

目次

人間をおろそかにしてまちづくりを進めていないか

スマートシティで実現する快適な暮らし──。この快適という言葉は、どんな意味を包含しているだろうか。もちろん1つではなく、さまざまな言葉が当てはまる。真っ先に思いつくことが多いのは「便利」あたりだろうか。もちろん「幸福」も含まれるだろう。

富山市ガラス美術館・富山市立図書館本館
富山市が約30年にわたり進めてきた「ガラスの街とやま」をめざしたまちづくりの集大成ともいえる施設。現在、伊東氏は名誉館長を務めている

伊東氏の専門は現代芸術。1980年代には、西武百貨店および美術館の文化事業に参画し、池袋や渋谷、軽井沢を拠点に新しい文化を発信する活動の一翼を担った。また、原宿クエスト、青山スパイラルの企画・プロデュースも担当。「生活とアートの融合」を掲げたスパイラルの誕生は、東京・青山を、世界的な現代文化の発信地へと変貌させることとなった。ほかにも、森美術館の創設への参画、文化庁メディア芸術祭企画展の初代プロデューサー、パリ日本文化会館など多くの事業を手掛けた。現在、名誉館長を務める富山市ガラス美術館も同氏が企画・創設に大きくかかわっている。

「芸術は、まちになくてはならないもの」だと伊東氏は言う。

「まちは、建築や道路、下水道などのインフラ、商業施設や文化施設など、多種多様なパーツで構成されています。これらをブロックのように組み合わせていくのが都市計画です。しかし、どれほど完成度の高いまちを創り上げても、それがその土地に根付くかどうかは人間次第。にもかかわらず、往々にして都市計画は人間のことをおろそかにしてしまう」

美術評論家、キュレーター、東京藝術大学 社会連携センター特任教授、富山市ガラス美術館名誉館長
伊東 順二氏
1953年長崎県生まれ。 早稲田大学仏文科大学院修士課程修了、仏政府給費留学生としてパリに学ぶ。フィレンツェ市庁美術展部門嘱託委員、「フランス現代芸術祭」副コミッショナーなどを歴任し、「ニューペインティング」を日本に紹介。1983年に帰国し、美術評論家、アート・プロデューサー、プロジェクトプランナーとして活動を開始。「第46回ベネチアビエンナーレ」コミッショナー、「茶美会」プロデューサー、「金屋町楽市」プロデューサー、展覧会の企画監修、アート・フェスティバルのプロデュース、都市計画、文化事業コンサルティングなど幅広い分野で活躍中。

芸術を通じて人間らしさでまちを包み込む

なぜ、まちには芸術が必要なのか。もう少し芸術とはなんなのかを知りたい。

「芸術は、文化の一部であり、人間的合理性、平たくいえば、人間らしさを最も先鋭的な手法で極端に表現したもの。アルタミラ洞窟壁画の時代から、人間は芸術的表現にチャレンジし続けてきました。まだ言葉を開発していない時代から、コミュニケーションの手段として絵や音声を用い、社会をよりよく動かすための方法を生み出してきたのです。それが進化したのが、古代ギリシアの芸術です。古代ギリシアでは、『人間は、いかに生きるべきか』という哲学を背景として、高度な芸術や人文科学が発達しました」と伊東氏は言う。

ところが、中世には芸術が宗教や王政と深く結びつき、技巧的な表現だけが求められるようになった。それに対する反動がルネッサンスだ。ルネッサンスは、古代ギリシアの人間中心の芸術の復興をめざし、芸術と社会とのかかわりを回復・再生させた。

「ルネッサンスの目的は、芸術によって人々の精神的な生活や人間に対するビジョンを豊かにし、よりクオリティの高い社会に変えていくこと。この考え方は、現在のまちづくりにも通じるものではないでしょうか。芸術を通じて、人間らしさでまちを包みたい。私は、そう考えています」(伊東氏)

世界も注目した長崎の「呼吸する美術館」

伊東氏が「まちとアート」に最初に触れたのは80年代の初頭。原美術館創設の後、フランス政府給費研究員として渡仏したときだ。フランス文化省からの依頼で、アヴィニョン演劇祭に派遣された伊東氏は、そこで、野外の劇場やカフェ、レストランなど、まち全体が演劇公演の舞台となっていることに衝撃を受けた。それはまさに、当時ミッテラン政権が推し進めていた「文化の地方分権化」の生きた実例だった。

「地方に文化拠点をつくれば、都市の伝統を活かした再整備や地域ブランドの再生をもたらし、オリジナリティのある高い経済効果を生み出すことができる――」。この気付きが、後年、伊東氏を、現代アートの文化拠点づくりや地域活性化の取り組みへと駆り立てることとなる。

まず、前述した東京での活動を経た後の1990年代、伊東氏は裏千家伊住宗匠、田中一光氏の依頼で実験的イベント「茶美会(さびえ)」のプロデューサーになった。日本の伝統と現代文化のクリエイターが結集し、茶の湯の革新をめざしたこのイベントは、原宿や、パリのユネスコ本部、ニューヨークのロックフェラー財団、ベネチアのビエンナーレを舞台とした10年以上にわたるロングラン企画となった。この試みを通じて、伊東氏は「日本の文化を構成するのは、地域の歴史の中で培われた数百もの固有の文化であるという事実」を実感。これを機に、全国各地で美術館の創設やまちづくりのプロジェクトに、本格的に携わることとなる。

代表的なプロジェクトが2005年に開館した長崎県美術館の企画・プロデュースだ。

長崎は、伊東氏のふるさとでもある。長崎県美術館の仕事を引き受けた伊東氏は、ある時、窓から海を眺めながら、長崎らしさに気が付いた。

「この海を通じて、西洋文明は日本にもたらされた。だから長崎では、海外に憧れた坂本龍馬らが活躍したし、日本における油絵やジャズ発祥の地となり、オペラ『蝶々夫人』の舞台にもなった。近代美術の紹介だけでなく、この歴史と呼応させながら美術館をつくっていこう――」

そうして誕生した長崎県美術館のコンセプトが「呼吸する美術館」だ。まちと美術館に境界をつくらず、美術館がまち全体と常に連動しながら、インタラクティブな関係を構築することをめざしたものだ。館内には大型液晶画面と映像装置、音響装置を設置し、全国の美術館に先駆けて無線LANを導入。初期のインターネットを利用した対話型コンテンツも用意した。また、現在でも富山で続く映像コンペを開始。NTTドコモの協力を得て、地域へ先端コンテンツの集積をもたらした。

長崎県美術館のコンセプトは、地域と密着した美術館というトレンドの先駆けとして、海外でも大きな話題となった。

長崎美術館
「呼吸する美術館」というコンセプトは世界中から注目され、館長に就任した伊東氏には、パリのポンピドゥー・センターから30周年記念書籍への執筆依頼が寄せられた

学生に生きた教材を与えた富山のプロジェクト

もう1つの事例は、2008年にスタートした富山県高岡市の「金屋町楽市」だ。

もともと、伊東氏は前述した富山市ガラス美術館・富山市立図書館本館の創設にかかわるなど、政策参与として富山市のコンパクトシティ実現に深くかかわっている。

伊東氏がアドバイザーを務める高岡市にある金屋町は、江戸時代から高岡銅器の中心地として栄え、今も千本格子づくりのまち並みが残る観光名所の1つである。この地の金属工芸は世界的にも高く評価されてきたが、その伝統は衰退と消滅の危機にさらされていた。

そこで、2005年に新設された富山大学芸術文化学部教授に就任した伊東氏は、「日本工芸の再生」をめざして、産学官民共催のイベント「金屋町楽市」を企画・プロデュース。金屋町の石畳の通りや町屋に工芸作家の作品を並べ、10月の2日間にわたり、まち全体を美術館化して企画展示やクラフトマーケットを開催するという試みを行った。

金屋町楽市の様子
金屋町のまちそのものを展示の舞台として工芸作家の作品を並べた

手始めに、伊東氏いわく建築家の肩書きを持つ芸術家である隈 研吾氏を招き、展示ケースとして使うアルミ製什器のデザインを依頼。什器製作は、地場の技術を活かして企業が無償で引き受けてくれることになった。その一方で、伊東氏は金屋町の民家を1軒1軒回り、「作品展示のスペースとして利用させてもらいたい」と協力を求めた。

イベント1日目のシンポジウムには、隈氏や陶芸家の今泉今右衛門氏(現・人間国宝)など、そうそうたる顔ぶれが集結。石畳の通りや町屋には約3000点の工芸品が並べられ、来場者は2日間で2万7000人に及んだ。

「このイベントを企画した一番の目的は、地域の文化マネジメントができる人材の育成でした。富山大学の学生たちはイベントを運営し、インターネットやアナログかわら版の口コミを活用して、2日間で全作品が売れる仕組みをつくり上げたのです。学生たちはコンセプトシートも書きますが、それはあくまでも方法論でしかない。まちづくりで本当に重要なのは、住民が何を求めているのかを明らかにし、どうすれば『ここが自分の故郷』と感じてもらえるような生活を新たにつくり出せるかということです」(伊東氏)

建物の動線や生活上の配慮、人と人とのかかわりから生まれる力――。まちづくりの現場では、さまざまな要素を考慮しながら、効果的なコンセプトをつくり上げ、それを具現化できる人材が求められる。10年にわたる実験的企画「金屋町楽市」は、学生たちが実地にまちづくりを学ぶ、格好の教材となったのである。

多様な専門家とのコラボレーションに期待

金屋町のプロジェクトにも参画した隈氏は、伊東氏が盟友と呼ぶ存在だ。伊東氏は、自身をプロデューサーや翻訳者などと呼び、隈氏を芸術家と呼ぶ。

「あるプロジェクト(大宰府スターバックス)で隈さんを巻き込んだら、とんでもない設計案を出してきた。スーパーコンピュータがなければ設計できないほど、複雑な木組み構造を内装にしたものです。隈さんは『これは世界的にも建築学の論文になるようなものだ』と言う。つまり『これじゃないとやらない』と言っているわけです(笑)。芸術家は、往々にして乱暴で、とがった存在ですが、私はそうであるべきだし、そうあってほしいと思っています。私は、翻訳者、プロデューサーとして、その表現を理解して、世に伝え、まちづくりに組み込んでいく役割を担っていきたい」と伊東氏は話す。

アーティストとプロデューサーのコラボレーションが、地域の新たな可能性を引き出す。福岡県太宰府天満宮表参道店のスターバックスプロジェクト、富山市ガラス美術館図書館、九州芸文館など、日本中に彼らが手掛けたプロジェクトがあるが、このようなコラボレーションの場として伊東氏が新しく期待を寄せているのが、隈氏と共にアドバイザーとして参加している「サステナブル・スマートシティ・パートナー・プログラム」だ。

これは、ICTを活用したスマートシティなど、地域社会・経済活性化やWell-Being、地域住民の幸せのための新しいまちづくりについてさまざまな人や企業が議論したり、共創してイノベーションに向けた取り組みを行ったりする場を提供するプログラム。「いろんな専門、立場の方がアドバイザーとして集まっていますが、私は、それすらみなさんの一部でしかないと思っています。専門領域だけでなく、ほかにどんな顔や可能性をもっておられるのか。そして、それをぶつけあったら、何ができるのか。非常にワクワクしています」と伊東氏は言う。

スマートシティとは「人間が人間らしく生きられるまち」

このように伊東氏は、その地域の歴史や文化、人間の暮らしに目を向け、それを基にまちの中に芸術の拠点をつくり出すことで、地域を人間らしさで覆い、その可能性を引き出してきた。

そして、今、芸術だけでなく、新しいテクノロジーが、さらに人間らしさを引き出してくれるはずだと期待している。

「ICTをはじめとするテクノロジーは、人間的合理性の可能性を拡張するもの。日々の暮らしの中で、いろんなものに押しつぶされようとしている人間が、自分らしくあるために使う道具です。例えば、かつては多大な時間と労力、コストをかけて現地に行かない限り、他国の文化を体験することはできなかった。しかし、今はインターネットの動画サービスやコミュニケーションツールを使って地球上のあらゆる地域にアクセスし、感性を揺さぶることができる。見たい、感じたいという人間の欲求をテクノロジーが助けているわけです。また、ICTは失われた価値を再現・回復できると思っています。例えば、かつてそこにあった景色をテクノロジーで再現し、昔の人の暮らしを追体験したり、様々なことができます。時代を超えて時間を同期することができるのです」

したがって、テクノロジーを使うときは、人がどんな暮らしをして、何を求めているかを考える。「スマートシティの課題は『人間に優しいまちづくり』。私は今、母学というテーマでアートと医学、脳科学を結んでお母さんと赤ちゃんの関係性を豊かにしたいと考え、名古屋大学のスマートモビリティセンターと連携しながら『ハイパー揺りかご』の制作に取り組んでいます」(伊東氏)。

人が快適に暮らすスマートシティとは、便利で効率的なだけではなく、人間らしさで覆われた、人間に優しい都市。伊東氏がまちに組み込む芸術は、私たちのまちづくりが進むべき方向を示している。