アドバイザー活動紹介

「無理」「ムダ」を生むパラダイムを克服し
人類が新しい未来を幸せに生きる道筋とは?

『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊國屋書店)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社新書)など、数々の著書で知られる人類学者、長谷川 眞理子氏。行動生態学や進化心理学の視点から、人間の進化や適応について探求を続け、オスとメスの性差の問題にも科学の光を当ててきた。人類という種は、どのようなプロセスを経て現在に至ったのか。コロナ禍により一大転換期を迎えた今、人間はどこへ向かおうとしているのか。そして、Afterコロナ時代の新しい生き方、暮らし方とは何か。人類学者・教育者として、幅広い知見を持つ長谷川氏に話を聞いた。
(取材時期:2021年2月)

総合研究大学院大学 学長
長谷川 眞理子氏

東京大学理学部生物学科卒業。1983年同大学院理学系研究科人類学専攻博士課程単位取得退学。1986年理学博士。タンザニア共和国天然資源観光省野生動物局勤務、専修大学法学部助教授・教授、イェール大学人類学部客員准教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て、2006年総合研究大学院大学教授。2017年より現職。
専門は行動生態学、自然人類学。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生のヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。近年は人間の進化と適応の研究を行っている。

野生動物の研究から人類進化の研究へ

今では日本を代表する人類学者の一人となった長谷川氏。しかし、もともと「人間」に興味があって、この道を志したわけではないという。

「学生時代は野生動物の行動研究をしたかった。それで、東京大学に在籍時、『チンパンジーの研究ができる』というので人類学教室を選びました。チンパンジーの研究は人類学の研究でもあるからです。でも、最初のころは人類学の研究課題や研究方法がよくわからなかったので、野生動物の研究をしていました」

そんな長谷川氏が、「人類の本性の進化的探究」に踏み出すきっかけとなったのが、1990年に開催された二つのシンポジウムだった。

その一つが、イタリア・シチリア島の小村で行われた、動物と人間の子育て行動についてのシンポジウムだ。ここで、長谷川氏はあるカナダ人研究者たちと出会う。彼らは、さまざまな民族のデータや中世の古文書などを基に「殺人の進化論的な研究」を行っていた。

「今のところアジアのデータが一つもない。日本は統計が発達しているだろうから、殺人についての研究(なぜ殺人を犯すのか)について生態学や心理学的な見地から考察してみては面白いのではないか」。そう勧められたことが、人間の研究を始める一つの大きなきっかけになったという。

もう一つは、女性の生物学者を対象に、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で行われたシンポジウムである。「フェミニズムではジェンダー論の立場から、『女性差別は文化的・社会的要因によってもたらされる』と考え、そうした状況を変えていこうと主張します。一方、私たちは女性の生物学者として、動物のオスとメスとの間には大きな違いがあることを知っている。この知見を活かして、フェミニズムと対立することなく、『なぜ人間はこうなっているのか』を解明し発信していこう――というのが、このシンポジウムの主旨でした。当時、私はチンパンジーのメスの繁殖戦略などを研究していたのですが、このシンポジウムを機に、『自分の研究成果を、人間のジェンダーと結び付けて発信しなければならない』と使命感を持つようになりました。1990年の二つのシンポジウムがきっかけとなって、人類の進化に対する興味と、生物学者としての使命感が生まれたわけです」。

人類が重ねてきた無理とムダがコロナ禍をもたらした

近年、新たな地質時代を表す「人新世(アントロポセン)」という言葉が注目されている。これは人類の活動が、小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような変化を地質に刻み込んでいることを示した言葉だ。なぜ、人類は進化の過程で、これほど特異な位置を占めるに至ったのだろうか。長谷川氏はこう指摘する。

「230万年にわたる人類の歴史の中で、農耕牧畜が始まったのはわずか1万年前のこと。つまり229万年もの間、人間は定住せず、狩りと採集の生活をしてきたわけです。体重約65kgの雑食動物が狩りと採集で生きていくためには、1km²当たり1.5人程度の人口密度でないと難しい。ところが、農業牧畜中心の定住社会になると、食料の貯蔵と蓄財が可能になり、より多くの人数で暮らせるようになった。そこでは、格差と権力が生まれます。そこから、貨幣経済が発達してサービスを購入するようになると『もっともっと』という欲が生まれ、人が多く集まる場所=都市に行けばチャンスが増えてお金も稼げるというので、ここ100年の間に都市化がものすごい勢いで進んだわけです」

こうして1980~1990年代には、人口密度は世界平均で1km²当たり44人に膨れ上がり、まさに人口爆発の様相を呈した。それを可能にしたのが、化石資源によるエネルギー革命と、それがもたらした産業革命である。人類は地下深くから石炭や石油を掘り出すことで、それまで自然界に存在しなかったエネルギー源を手中に収め、新たな“神の火”の使い手となった。そして、神の火を盗んだプロメテウスがゼウスから劫罰を与えられたように、人類もまた地球温暖化や気象災害、感染症という未曽有の災厄にさらされている。

「今、人間は、太陽光でまかなえる量の何倍ものエネルギーを使っています。それが産業を発達させ、暮らしを快適にしたのも事実ですが、それと引き換えに、自然の生態系や水、空気、CO2などの元素の循環をすべて破壊してしまいました。人間以外のすべての生き物が、太陽などの自然エネルギーで生命をつないでいるのに、人間だけがズルをし、無理を重ねてきたわけです」と長谷川氏は話す。

人間が生息域を拡大するにつれて、未知の細菌やウイルスに遭遇するリスクは飛躍的に増大した。そして、人間が辺境の地から持ち帰った細菌やウイルスは、人口が密集した都市の中であっという間にまん延していった。「ズルの陰で無理がたたり、人間は新型コロナウイルスのような新しい感染症が生まれるチャンスを自ら増やしてきたのです」(長谷川氏)。

今、コロナ禍は人類史上に大きな爪痕を残し、我々は大きな潮目の変化に直面している。それでは、アフターコロナの世界を、我々はどう生きるべきなのか。そのためには、右肩上がりの成長を求めてきた資本主義的価値観を転換する必要がある、と長谷川氏は言う。

「私たちは『一生懸命働いて、もっとお金を稼がないといけない』というパラダイムの中で生きてきました。でも、右肩上がりの時代は終わりを迎えつつあります。これ以上、身近な快適さだけを求めて環境を破壊し、ムダなエネルギーを使い続けることはできません。 現在、脱炭素社会をめざし、省エネルギーに向けた取り組みも出ていますが、すべてがエコにつながるのか未知数です。再生紙や水素燃料電池、電気自動車などもバリューチェーン全体で見ると、必ずしも削減にならないケースもあるなど、そのエネルギー収支の計算は容易ではないからです。こうした点にも配慮しながら、現在のパラダイムを見直し、別の形で全体が回っていく仕組みを設計する必要があります」

男性が変わらない限り少子化は解決できない

こうした右肩上がりのパラダイムは、日本社会に深刻な弊害をもたらしてきた。いまだ解決の兆しを見せない少子化問題も、その一つである。

「日本の少子化問題は、日本社会特有の雰囲気や働き方、ジェンダー問題に起因するところが大きい。今の日本には、『子どもを持ったら損をする』『子どもを持つと多くのことを犠牲にしなければならない』という雰囲気があるように思います。ただお金をあげます、保育所をつくります、では何も変わらない。『だから、男女の地位の問題を根本的に変えていかないとだめですよ』と、高齢な男性に意見をしても、なかなか変わっていかない」

それでは、どうすれば少子化に歯止めをかけることができるだろうか。例えばフランスでは、保育サービスの充実や、仕事と育児の両立支援、手厚い家族給付などの政策が功を奏し、1993年に1.66だった合計特殊出生率が、2010年には2.02まで回復した。その成功は、政府が主導した数十年にわたる調査研究のたまものだった、と長谷川氏は言う。

「フランスでの調査研究が導き出した結論とは、『男性の働き方を変えなきゃだめだ』ということでした。そこで、企業や政府がお金を出して、出産前後には男性も産休をとり、夫婦そろって子育てできるような働き方に変えたわけです。そうして産後2、3週間もたつと、父親にも赤ちゃんを『かわいい』と感じるスイッチが入り、モーレツ社員をやめて、自分も一緒に子育てしたいと思うようになる。父親が育児を分担するようになって、母親の育児負担が減り、仕事と育児の両立も可能となり、女性の働き方も変わったのです」

出生率の向上に寄与したもう一つの要因は、保育サービスの充実だった。認定保育ママを増やすなどして、きめ細やかな保育サービスが受けられるようにし、病児対応や深夜保育の体制も充実させた。また、運動会や参観などのイベントを廃止することで、保育園に関する親の負担を減らしたことも功を奏した。

一方、日本はどうか。いわゆる“ワンオペ育児”が日本で広まったのは、そう遠い過去ではない。「戦後、都市化とともにサラリーマン化と核家族化が進行し、『父親は一日中外で働き、母親と赤ちゃんがマンションの一室で孤立している』という異常な状況が生まれた」と、長谷川氏は語る。

「数年前、若い世代の親にアンケート調査をしたのですが、1人、2人、3人と子どもの数が増えるにつれ、肉体的・精神的・経済的な負担感が、指数関数的に増えていくんですね。自分の楽しみや自由も担保しながら子育てをしようとすると、『最低でも年収600万円は必要』ということになり、不安と不満だけが増殖していくわけです。本当はお金なんてそれほどなくても、社会全体で支える仕組みをつくることはできるはず。ただし、男性が今のような働き方を続けている限り、日本の少子化問題は解決できないのではないでしょうか」

未来のまちづくりのカギは「ICT」と「若い世代」

だが、希望がないわけではない。新型コロナウイルス感染症拡大をきっかけにリモートワークが普及し、都心オフィスへの出勤が必須ではなくなった。働き方も従来のメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行を検討する企業も出てきている。そうした変化の中にあって、今後、どうすれば持続的で幸せなまちづくりが可能となるのか。

「まず、ICTを使うことは有効だと思います。オンラインで仕事ができるので、東京のような大都市に一極集中を続ける必要はなくなります。ただし、在宅で仕事をするとなると一定の広さは必要なので、家族が自分のスペースを確保できるように設計された家が必要になる。そのスペースを確保する意味でも、使い捨ての生活は極力やめて、サステナブルな仕組みを設計し、資源のリユースやリサイクルを小さな単位で、例えばまちごとに回せるようにする。企業も大きなビルを都会に構える必要はなくなるので、皆が1カ所に集まる必要性や頻度も考慮しながら、機能を分散させてネットワークを活用して働ける環境を整えていく。いずれにしても、“小規模・自律分散型”が、これからのまちづくりのキーワードになっていくと思います」

もう一つ、今後のまちづくりのカギを握るのが、若い世代の参画だ。

「今、大学では、『政治と関わりながら、身近な暮らしの問題をどうやって解決できるのか』を議論するゼミが増えています。若い人たちは、見知らぬ人とSNSでつながり、ゆるやかなネットワークをつくることに長けている。地域でも、SNSの呼びかけを通じて意見を発信・交換しながら、政治や自治体を動かし、社会を変えていける可能性があると思います」。文化的に社会をどのように動かしたいか、どういう社会が幸せかという発想にシフトし、SDGsや社会貢献への関心が深く、旧来型の右肩上がりの発想とは一線を画し、ICTを自在に使いこなす若い世代。その自由な発想こそが、これからの幸せなまちづくりには欠かせない、と長谷川氏は期待を込める。

とはいえ、課題がないわけではない。その一つが、産学官の連携によるプラットフォームづくりだ。

「今、各地の国立大学では、自治体や企業と連携して『社会のあるべき姿を議論していきましょう』という提案を行っています。特に地方の大学や企業は、まちづくりや産業振興、世界に向けた情報発信などを積極的にやりたいのですが、その連携がとれておらず実現しないことも多い。産学官がフレキシブルに連携しながら、いかにまちづくりのプラットフォームをつくっていくかが課題だと考えています」

資本主義的価値観に基づく右肩上がりのパラダイムにより、人類は無理とムダを重ねてきた。その現実をありありと突き付けられたのが、今回のコロナ禍だといえる。この経験をうまく利用して、幸せなまちづくりへと転換する意味でも、今後のICT活用と若い世代の活躍に大いに期待したい、と長谷川氏は最後に語った。