人を中心にした“まちづくり”

超高齢社会「以後」の地域経営モデル
【後編】自律的な活動のはじまり

ぐにゃりのまち【後編】「はざま」からほぐれる

【写真】大牟田市動物園のゴマフアザラシ。絶妙な距離感でそばにいて、隣で一緒に考える。

目次

Ⅰ はじめに

 本連載(全3回)は、「ぐにゃりのまち」と題して、超高齢社会「以後」の地域経営モデルを、大牟田市で活動するポニポニ(大牟田未来共創センター)のコンセプトや実践のうちに探ってきた。第1回「まちづくりの新しいOS」ではポニポニの行動原理(OS)を紹介、第2回は、具体的な取り組みとしてポニポニが関わる大牟田のリビングラボを紹介した。第3回の今回は、ポニポニの実践を通して、どんな変化が生まれているかを、ポニポニの取り組みに関わりのある人の話から見ていきたい。
 もっとも実情としては、今回紹介する人の人生の一コマにポニポニがたまたま関わることになった、と言うほうが適っている。些細な言い方の違いに見えるかもしれないが、大事なポイントだ。そのニュアンスを、本稿を通して感じていただけたらと思う。

II 藤川さんのこと

【写真】藤川美名子さん

 藤川美名子さんは、大牟田市営住宅管理センターの職員だ。「藤川さんは、スーパーソーシャルワーカーなんですよ!」とポニポニ 理事の原口悠さんは絶賛するが、当の藤川さんは「いやいや、“どしろうと”ですよ」と笑う。
 「生まれも育ちも、ずっと大牟田です」という藤川さん。もともと保育士で、結婚退職後、学童保育の代替指導員、ファミリーサポートセンターのコーディネーター、社会福祉協議会のボランティアセンターを経て、7年前から現職となった。「ずっと大好きな子どもにまつわることを仕事にしてきたのだけど、いつのまにか高齢の方との関わりが多くなりました。私、高齢者嫌いだったんですけど(笑)」と話すが、藤川さんの「嫌い」には独特の明るさがある。

 管理センターでの藤川さんの仕事は、大牟田市の市営住宅のコミュニティ支援だ。大牟田市内には25か所2,800戸の市営住宅がある。この管理業務を、指定管理業者として株式会社モトムラが担っているが、面白いのは、管理業務の中にコミュニティ支援も位置付けられている点。ここで言うコミュニティ支援とは「自治会活動の支援」で、その中には住民が集うサロンの立ち上げのお手伝いも含まれていた。そこで社会福祉協議会での経験から、藤川さんに白羽の矢が立ったというわけだ。「サロンは住民の人たち自ら立ち上げるもの。そのお手伝いが私の仕事です、でも最初はぐちゃぐちゃ(笑)。当時市役所の建築住宅課は、市営住宅のコミュニティについて、自治会名簿も把握していませんでした。だから、団地の掲示板で自治会の役員の人たちを把握するところから始めました。」
 いざサロン立ち上げに取り掛かると、市営住宅の状況は単純ではなく、日々の暮らしへのサポート(生活支援)が重要であることが見えてきた。「市営住宅には、入居条件があって、例えば単身であれば60歳以上であること、あるいは60歳以下だったら生活保護受給か障がい者手帳を持っていること等、生活を送る上で支援が必要な方々が集まりやすいしくみになっています。ところがそうした方々が入居してからは、福祉専門職がケアに入る場面は個別にあるにしても、生活全般への支援は特にありません。」
 住民の生活への相談に親身に応じていたのは、同じ住民である管理人だった。「でも管理人さんも、あまりに負担になるとつぶれてしまう。そうなると、もうほっとけない。気になっちゃう。私が大事にしていたのは、とにかく〈管理人さん一人には担わせない〉こと。『必ず伴走します、一緒に頑張りましょう、一人で背負わないで』と伝えながら進めてきました。」管理人をサポートしながら、住民の生活支援に奔走する日々。「制度のはざまというのでしょうか。支援が必要なところに支援がなく、誰かがギリギリ踏ん張ることでかろうじて成り立っている状況。誰かがサポートをしないと全部が倒れてしまうという危機感がありました。だから私の動機は『管理人さんが困ってる!辞められたら困る!』の一心で、大牟田のため、というような使命感ではないんです(笑)。」

III はざまの問題との関わり方

なぜ市営住宅は難しいのか

 藤川さんが直面してきた「はざま」は、次のような難しさがある。市営住宅は(こうした状況が生まれるような住宅施策にこそ問題があるのだが)、その性質上、住民には福祉的ニーズ(生きづらさ)を持っている人が多い。にも関わらず、決まった相談先があるわけではない。建築住宅課では、通常業務に忙しく十分に対応できない。数が限られた民生委員では、細かい生活相談にまで乗ることは難しい。ケアマネージャーは、生活相談を受けるのは業務上難しい。隣近所や付き合いのある人たちも高齢になり、それぞれが自分の生活に精いっぱいの状態では気軽に相談することが難しい。このように幾重にも「難しい」が重なって「はざま」が生まれる。
 「はざま」の問題は、不可視だったわけではない。管理センターの藤川さんをはじめ、地域包括支援センターの生活支援コーディネーター、介護事業所のスタッフ、自治会の立ち上げ支援をする高専の研究者、それぞれがそれぞれに関わりながら会議を重ねていた状況はあった。しかし藤川さんの気持ちは晴れなかった。「会議でも、言いたいことが言えない。意見をすれば、自分がやらなければならなくなる。自分が参加する必要性が見いだせず、モヤモヤが募っていました。」

はざまの周りで堂々巡り

 ポニポニが市営住宅に関わり始めたのは、その頃だ。ある団地の建替移転に伴い、生活支援施設の併設を検討することになり、その相談が建築住宅課からポニポニに寄せられた。そこで市営住宅に関わる様々な人たちと一緒に話し合う必要性をポニポニが提案し、その会議の場で藤川さんと出会う。
 藤川さんは、ポニポニが会議に入ってきた時のことをよく覚えている。「ちょうど『住民交流のためのバザーをやったらいいのでは』という話をしていたところでした。でも誰かが率先して進めるという感じにもなっていなくて。その時ポニポニの原口さんが『何のためにバザーするの?』『やりたい人がやらないと意味がないでしょう』と本質的な問いを投げかけたのです。よくぞ言ってくれた!って感じ。」
 原口さんはこう話す。「みんな、はざまの問題について『〇〇をやったほうがいい』と外側から見たあるべき論を言うけど、自分が率先して進めることはしない。というのも〈支援者が関わりすぎると自治をそいでしまう〉と考えるから。一方で自治を訴えながら、一方でやるべきことを提案する。支援者はこの絶妙な立ち位置をキープしながら、結局は『地域の人たちがやらないと』と住民のせいにしてしまいがちです。これは行政も同じ。そもそも入居基準といった市営住宅を巡る行政の施策が、こうした問題を生み出しているのに。僕は空気を読まないから、いろいろ言っちゃう(笑)。」
 ポ二ポ二原口さんの会議の進め方は、本連載第1回でも取り上げたユニークなものだ。「あるべき論では〈住んでいる人たちがハッピーになる〉ことが抜け落ちてしまいがち。会議のまんなかにある〈生身の人がいる場所〉を見逃さないことが一番大事。」市営住宅のはざまの問題を巡って、参加者が思っていても言いづらいこと、頭のどこかでわかっていても言葉にしていなかったこと、さらには公営住宅を巡る政策の変遷など問題が生まれる社会的な構造について、さまざまな話題を提供しながら、話をぐるぐるとまわしていく。

温まった人が動き出した

 こうした「ぐるぐるまわる」会議から、実際に市営住宅の建替えに伴う「引越し応援隊」が動き出すことになった。手を上げたのは、藤川さん、ポニポニの西嶋香里さん、そして介護予防の事業で市営住宅に関わっていた延寿苑(社会福祉法人)の井口裕士さん。井口さんは、原口さんから「なにかやらないの?」と問いかけられた時に要領を得ない返答をしたことを自分なりに悩んだ結果、「法人とは別に個人で関わりたい」とメッセージを送ってきたという人物だ。結局、所属する法人を説得し、現場に携わることができる環境を整えた。「井口君はすっごく変わりました。以前はちょっと頼りなく思っていたけど」と藤川さんは笑う。

【写真】引越し応援隊の相談受付

 引越し応援隊が動き出すと、同じ延寿苑のスタッフや建築住宅課の職員も後方支援として関わるように。同時期に深刻な大雨被害(令和2年7月豪雨)があり、ポニポニ西嶋さんは被災した市営住宅の住民たちへ向けた生活支援の相談に関わることになった。「先遣隊がのびのびと動き出すと、周りも動き出しやすいのでしょう。建築住宅課の職員はもちろん、課の垣根を越えて、福祉課で助成金を探してくれたり、地域コミュニティ推進課が前向きなメッセージをくれたり。井口さんたちは事業が終わった後も市営住宅に関わろうとしているし、高専の先生たちとも市営住宅に研究で関わるアプローチを検討しています」と原口さん。藤川さんも「話しているだけでは何も動かない。実際に動いてみることは本当に大事です」と話す。もちろん、まだまだ課題は山積みだろう。しかし藤川さんが現場で直面してきた「はざま」の問題が、みんなの問題になりはじめている。

【写真】市営住宅の外観

IV 「自分(たち)でできる」を手伝う

 今では相思相愛に見える藤川さんとポ二ポ二原口さん・西嶋さんだが、藤川さんによれば、最初は得体の知れない感じを訝しく思っていたという。「最初は軽い人が来たなって。『この人たちは何をしに来てるのだろう?』『ポニポニの資金源はなに?』といろんな〈?〉が出てきた」と出会った当初のことを振り返る。「各所に探りを入れて聞き込みもしたけど、いよいよわからない(笑)。わけわからん人と仕事するのは辛いですからね。実は会議に呼ばないで欲しいという気持ちもありました。ちょこっとやってきてかき回して、もう予算がなくなったので来れませんなんて言われたら困ります。そこで本人と直接話そうと呼び出しました。すると原口さんは『安心してください、来なくなることはないですよ』なんて断言するのです。そんな人ほど信用できないですよね(笑)。その頃から、こういう冗談が言える関係になりました。」
 ポニポニ西嶋さんは「藤川さんと一緒に仕事をしていると、自分が支援者の枠から抜け出せていないなと感じることもたびたびです」と話す。藤川さんの背景にあるのは、保育士の時に触れたモンテッソーリの考え方だ。「『子どもが一人でするのを手伝う』がモットーなのです。『なんでもやってあげる』でも『ここから何でも一人でやってね』でもなく。当時はモンテッソーリ嫌いだったのだけど、どうやらこれがベースになっているみたい(笑)。」「自分でできる」を手伝うスタンスは、第1回連載でも触れたポニポニの「隣で一緒に考える」スタンスとも相通じるものがあったのだろう。「これからはハード的な『住まい』の保障だけでは生活が支えられません。ソフトや関係性を含んだ『住まう』を保障するための支援、特に生活支援が広く提供されることが重要です。これは見方を変えると、生活に伴走する人や団体さえいれば、在宅生活を送ることが可能な人たちが増えているとも言えます。だから、その人のできることをサポートする相談相手の存在が重要なのです」と原口さん。「藤川さんが市営住宅にいたのは、もう運命ですよ(笑)。」

V おわりに

 市営住宅に、管理人をほっておけない藤川さんがいて、現場に向き合う藤川さんをポニポニが応援し始め、ぐるぐるまわる会議で場が温まることで引越し応援隊が活動を始め、その動きを見ていた周りの人たちもいつの間にかできることを始める。
 組織や立場や建前など、カチカチだったものがかき混ぜられて、まちの中で関わる人たちが柔らかく動き始める。ポニポニの活動の肝は、その最初の小さなタプタプとしたたゆみを生み出すことなのかもしれない。やがて、硬直した既存の制度やしくみのなかでアプローチが難しいとされてきた様々な問題が、柔らかくほぐれ始める。人に合わせて地域社会が柔らかくなっていく「ぐにゃりのまち」は、こうして始まるのだ。