人を中心にした“まちづくり”

超高齢社会「以後」の地域経営モデル
【中編】リビングラボの構造転換

ぐにゃりのまち【中編】リビングラボの構造転換:企業と地域の新しいコミュニケーション

【写真】大牟田市動物園のリスザル。動物を見るとき、動物もまたこちらを見ている。

目次

Ⅰ はじめに

 本連載(全3回)は、「ぐにゃりのまち」と題して、超高齢社会「以後」の地域経営モデルを、大牟田市で活動するポ二ポニ(大牟田未来共創センター)のコンセプトや実践のうちに探っていく。第1回「まちづくりの新しいOS」では、人を中心にした(パーソンセンタードな)まちづくりに向けて、行政や企業や社会が柔軟になるようアプローチするポ二ポニの行動原理(OS)を紹介した。第2回の今回は、具体的な取り組みとして、ポ二ポニが関わる大牟田のリビングラボを紹介したい。ここでもまた、人を中心とするアプローチから、企業と地域の関わり方が捉えなおされている。

Ⅱ 企業と地域の関わり方とその難しさ

 超高齢社会「以後」の地域社会では、企業と地域(そして行政)の関わり方もパラダイムシフトが求められる。だが第1回で話した「新しい公共私の協力関係」と同様、何がどう変わるのがよいのか、漠然としている人も多いのではないだろうか。そこでまず、企業と地域の関わり方における問題点から始めよう。そしてこの問題点を乗り越えようとする実践として、III章以降で大牟田の取り組みを具体的に見ていくことにする。
 企業と地域の関わり方で、近年リビングラボというしくみが注目を集めてきた。リビングラボの定義は様々だが、ここでは「製品・サービス企画や政策・活動企画の主体(企業/行政/NPO 等の提供者)と生活者(利用者)が共に,生活者の実生活に近い場で,仮説の探索や解決策の検討・検証を実験的に行うための仕組み(環境およびプロセス)[1]」としておこう。その背景には、企業が単独でサービス開発をする限界がある。多くの企業は、自分たちでは知りえない「真のニーズ」を探求すべく、生活者との共創(co-creation)をめざす。
 しかし実際には、企業が独自に設定した仮説を生活者において検証しようとするモデルが多い。だが、これはまさにラボ(実験室)のモデルであり、そのようなモデルにおいて生活者は自発的な関わりができるだろうか。生活者はどれだけ丁重に扱われようとも、本質的にはサービス開発のために動員されていると敏感に感じ取っているだろう。しかし、このような両者の関係性は、企業にとっても生活者にとっても本来の意図と異なったものになってしまっているのではないだろうか。共創の本質は、自発性に基づくパートナーシップにあるからだ。さらに、企業の目的にのみ特化したワークショップの場では、どれほど実生活の声を得たいと意図しても、その場が実生活とはかけ離れた非日常である以上、しつらえられた意見になりやすい。
 このように企業は、地域住民との共創を求めながらも、なかなか共創できないジレンマを抱えている。これからのリビングラボを考えるうえでは、そのプロセス自体が地域住民の自発性を損なわせやすいものであることを前提としたうえで、これを乗り越えるモデルを模索することが、「真のニーズ」を捉えたサービス創出にとってはもちろん、地域と企業の関わり方にとっても、鍵となってくる。
 新しいリビングラボは、企業のサービス創出に資するものでありながら、同時に、それが地域住民にとっても有意義なものになる必要がある。これは「本サービスは地域の方々にとって○○な意味がある」といった企業目線の話ではない。リビングラボというしくみに、地域住民が(動員されずに)自発的に関わり、自由にふるまえるか、という話である。こうした動員から自発へのコミュニケーションモデルの転換こそ、リビングラボの構造転換の本質になりそうだ。大牟田では、こうしたリビングラボの構造転換をめざす実践(パーソンセンタード・リビングラボ)が行われている。
 それでは、大牟田での取り組みを、具体的に見ていこう。

Ⅲ 新しいリビングラボの実践「わくわく人生サロン」

 大牟田では、大牟田市、NTT西日本、NTT、そしてポ二ポニ(大牟田未来共創センター)による「社会課題解決を行うリビングラボに関する共同実験」が締結されており[2]、その一環として開催されたのが「わくわく人生サロン」である。
 わくわく人生サロンは、地域住民を動員して企業のサービスを開発する実験場ではない。かといって、企業が社会貢献のために無償で提供している場でもない。大牟田の人々や地域・行政にとって価値ある場であると同時に、企業のサービス開発の場としても有意義な場であること、この双方にかなうように設計されている。こうした設計と企画運営をメインで担ったのがポ二ポニだ。

「わくわく人生サロン」とは

 わくわく人生サロンは、参加者がこれまでの人生や日々の生活を振り返りながら、自分のことをあれこれお互いに話して、これからの人生に思いをはせる地域サロン(交流の場)である。対象者は、大牟田市に住む、要支援・要介護認定を受けていない65歳以上の人々。新聞の折込チラシなどを活用して募集を行い、40名の参加があった。5名程度のグループに分けて行われた全5回のプログラムは、次のようなものだ(募集チラシを参照)。

わくわく人生サロン募集チラシより

 各回のテーマに応じて自分の話をする中で、参加者同士が次第に温まっていくことがめざされている。企業の新規サービスに関わるセンサーを扱うのは第4回(データが教える知らない私)。第1~3回を通して参加者と運営側、そして参加者同士の信頼関係ができて初めて、センサーと自分のことを安心して話題にできる場が生まれると考えたからだ。

企業からみた「わくわく人生サロン」:コンセプトの転換とUXのリアル・プロトタイプ

 今回の大牟田のリビングラボの目的は、IoTセンサーを活用して、認知機能等を含む健康状態の低下を早期発見することをねらいとした「健康寿命延伸サービス(仮称)」の実証実験である。この早期検知サービスの実証実験は他地域でも進められてきた。だが、実験への参加者がなかなか集まらず、そこに担当者は課題を感じていた。そこでポニポニは、地域の専門家との対話などから知見を得ながら、次のように掘り下げていく。
 「よいサービス」のはずなのに、使う(実験に参加する)ことをためらう人がいる。ここで問われているのは、技術的な精度ではなく、「使う(実験に参加する)前にためらってしまうこと」の意味だ。ためらいの背景には、「体調の変化、特に疾病の予兆をあらかじめ知る」ということへの不安や恐れがあり、さらに「センサーを介して知る」ということがその不安や恐れを大きくしている。これは「身体のデータを取得することで、体調の変化や疾病の予兆を探知する」というサービスコンセプトそのものを問いなおす必要性を示唆していた。ポニポニ理事の原口悠さんは、こう話す。「例えば、身体のデータを取得することで、早期に予兆が検知されるものが、認知症や難病である場合、いまのところそれを知った本人に対するケアやフォローは十分ではありません。これは福祉サービスの不備の問題ではなく、『知ること』を巡る社会的な価値観の問題です[3]。認知症や難病を持ちながら暮らすことが社会的に当たり前になっておらず、知ること自体が痛みや苦しみとなる可能性が高い。このことは『体調の変化、特に疾病の予兆をあらかじめ知ることには、価値がある』という前提を揺さぶります。」
 もっとも、「認知症や難病を含め『体調の変化、特に疾病の予兆をあらかじめ知ること』が、当たり前の社会にならないとビジネスができない」というわけでもない。原口さんは次のようにも言う。「企業にとって大切なのは、商品やサービスが必要とされる新しい価値観やフィールドが生成されるプロセスから関わることです。テクノロジーの進展で『知ること』が身近になるからこそ、『知ること』そのものを問いなおし、『知ること自体をデザインする』点にこそ価値があります。今回考えたのは、『“知ってもよい。できれば知りたい”と思える状況とはなにか?』でした。」
 この問いは、「体調の変化、特に疾病の予兆をあらかじめ知ること」を提供する本サービスのUXデザインの検討そのものである。わくわく人生サロンでは、センサーを介して「疾病の予兆をあらかじめ知ること」における課題を、「自分のものだったはずの身体のデータが、親しみのない異物となって突きつけられる」「身体の状態は続いているものなのに、突然警報のように知らされる」「誰かと生活の中で気づくものだった『知ること』が、孤立した自分だけに伝えられる」といったことに設定し、それらがあらわとなる局面や、突破できそうな方向性を、参加者と共に探索できるようにプログラムや場のあり方を設計した。
 具体的には、プログラム第4回では、「自分のことを知る」というテーマにセンサーから得られるデータを位置づけ、センサーデータから見えてくること(無意識な状態)を人生や何気ない習慣のふりかえりと並べて扱うことで、日々の生活になじませる。またプログラム全体を通して参加者相互やスタッフとの信頼関係が培われることで、対話ができる共同的な場のなかに「知る」を位置づけ、自分のことを自由に知る(知らずにいる)余地が生まれるあり方を探る。さらには、データの知り方・伝え方(UI)についても、センサーと人の関係から問いなおす。このようなプロセスを参加者と共に進めることで、新たな気づきを得ながら、より深く「体調の変化、特に疾病の予兆をあらかじめ知ること」の意味を深め、本サービスのUXデザインを探っていった。
 企業が考える「よいテクノロジー」と、それがもたらす不安や恐れ。こうしたテクノロジーと人間の関係への理解と、それを新しく更新していく想像力こそ、サービスコンセプトやUXデザインのイノベーションの核だ。こうした問いを地域住民と共に考えるリビングラボにおいて、企業は生活者のモチベーションやニーズそのものが生まれるプロセスにコミットしながら、同時に自らのサービスコンセプトやUXデザインをリアルに探求し、問いなおすことができる。それはまた、是非が問われる領域を、企業が地域住民と共に探索することでもあり、そのプロセスから形成される相互理解が、新しいマーケット創出にもつながるはずだ。

地域からみた「わくわく人生サロン」:それぞれの「わたし」が大事にされる場所

 一方で、わくわく人生サロンは、地域にとってどんな意味を持ちうるだろうか。これは、既存の地域サロンに対する独自の位置づけから考えるとわかりやすい。
 地域には高齢者が集える場は多い。それらは介護予防のための健康セミナーや、引きこもり防止のためのレクリエーションなど、いずれも何らかのテーマや目的に沿って作られた場である[4]。しかしわくわく人生サロンは、それらとは趣を異にする。参加者はそれぞれの「わたし」に注目し、お互いに自分のことを話す中で、相互に重なる境遇や経験、志向をもった参加者同士の対話が生まれ、ピア的な共感が生まれていく。そこでは、「がんばりましょう!」とか「趣味を見つけましょう!」といったプレッシャーがかけられることはないし、「やりたいことを見つけましょう!」といった野暮な促しもない。ゆったりと自分のことを話すうち、すっかり忘れていた自分や、これまで気が付かなかった自分など、様々な自分と出会う。注目すべきは、これは自分が肯定されているつながりのある場だからこそ生じている、という点である。

【写真】わくわく人生サロンの様子

 「自分を知る」ということは得てして孤独な体験であるが、わくわく人生サロンでは、自分が受け入れられる感覚とともに、「自分の話をしてもいい/してみたい」という感覚が培われ、いろいろなモチベーションが生まれている。原口さんはこう説明する。「次第に『自分はこうでなければいけない』という自己規定から解除され、ほどかれているということだと思うのです。人はいくつになっても未来に向けて生きていて変わりうるということを、わくわく人生サロンに参加するうちに思い出し、やりたくなったということではないでしょうか」。
 わくわく人生サロンでは、プログラム構成やスタッフのファリシテーションをはじめ、対話のスタンス、さらにはネーミングやチラシデザイン、会場のレイアウトなど、多岐にわたる工夫をしている[5]。「何ができるか」ではなく、「どんな人なのか」が大事にされる場では、人に社会的な役割を押し付けず、人それぞれの可能性が引き出され、自由にふるまうことができる。わくわく人生サロンがそのような場であるからこそ、参加者は自発的に参加する選択をしたのだろう。企業と住民のコミュニケーションにおいて、住民が、企業からの報酬や見返りとは関係なく主体的に参加している点は、決定的に重要だ。そのような信頼関係を参加者と築くことによって、先に述べた企業にとっての住民視点でのコンセプト転換やリアル・プロトタイプを用いたUXの探求・検討もまた、初めて実り豊かなものとなるのだから。

IV 新しいリビングラボがもたらすもの:企業・住民・行政のアップデート

 最後に、「地域」という言い方でまとめて話してきた行政と住民(地域の生活者)、そして企業の相互関係から、新しいリビングラボの可能性を素描しておこう。
 よくある企業と地域のリビングラボにおいては、行政は企業を一方的に受け入れ、住民とつなぐ。行政としては企業との協働をPRすることはできるかもしれないが、住民が自発的に関われているかが重要であることはII章で述べた通りである。その点、大牟田のわくわく人生サロン(パーソンセンタード・リビングラボ)では、企業と住民、そして行政の政策上のニーズが新しいかたちで統合されている。III章で述べた企業や住民のニーズに加えて、行政にとっても「既存の地域サロンには来ない人たちとの接点づくり」や「住民の社会参加へのモチベーションが生まれるしくみづくり」、「制度のはざまにある生きづらさへの対応(ピア的な対話)」など、政策上のニーズに対応する成果が見られる。ここに、住民の自発的な参加をもとに、企業のサービス開発と行政の政策の双方のイノベーションを両立できる可能性がある。そこでは、企業と住民のコミュニケーションのみならず、行政と住民のコミュニケーションもまた、新しいモデルとなっている。
 そしてこうしたリビングラボを実現するには、ポニポニのような統合的な課題設定にこだわる中間支援の存在が重要である。連載の第1回で紹介した「パーソンセンタード」という人間観をもとに、住民との信頼関係を築き、企業の目的と住民のニーズを深く理解したリビングラボを設計する(場合によっては実施しないことを決断する)ことで、地域が企業と共創できるあり方を模索する。そのプロセスにおいて、企業もまた、柔軟に変化できるあり方へと開かれるのかもしれない。

[1] 木村ら, 社会課題解決に向けたリビングラボの効果と課題, サービソロジー, 2018, 5 巻, 3 号, p. 4-11

[2] NTT持株会社ニュースリリース「地域と企業が新しい形で関わり合うパーソンセンタードリビングラボによる社会課題解決の共同実験を開始」 https://www.ntt.co.jp/news2019/1908/190830a.html

[3] なお「体調の変化、特に疾病の予兆を前もって知ること」が社会的に受け入れられていない点については、介護保険制度においてニーズ調査を実施し、ハイリスク者を見つけ出し、個別にアウトリーチして実施する「物忘れ検診」等の受診者が少ないことにも表れている。

[4] この点は、「既存の地域サロン等に、企業が入っていけばよい」という単純な話ではないことを示唆している。地域の集いの場と企業は目的を共有していないため、多くの場合、企業担当者は「お客さん」扱いとなるだろう。そうしたコミュニケーションから、サービス開発に資する知見を導くのは難しいと思われる。

[5] わくわく人生サロンの地域における意義やデザインコンセプトについては、山内泰「大牟田市がインスパイアする[ケア×暮らし×人間]「わたし」が温まる(!?)わくわく人生サロン」(医学書院『精神看護』2020年5月号、p244-p249)に詳しい。