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文化の豊かさを指標で評価し、Well-Beingなまちづくりへ

優れた文学作品には、人間の営みや情動、生き方を表現するための舞台装置として、さまざまなまちの表情が細やかに描き込まれている。日本文学において、まちはどのように描かれているのか。まちの豊かさや文化度を測る指標としては、どのようなものが考えられるのか。近世・近代の日本文学研究者として、大学で教壇に立つ傍ら、さまざまなメディアで幅広く活躍するロバート キャンベル氏に話を聞いた。
(取材時期:2021年11月)

目次

早稲田大学特命教授 早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問
ロバート キャンベル氏

日本文学研究者(専門は近世・近代日本文学)。早稲田大学特命教授。カリフォルニア大学バークレー校卒業、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士。1985年に来日し、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て2007年同研究科教授に就任。国文学研究資料館長を経て、2021年4月より現職。

まちの描写は「人間」を描くための舞台装置

ニューヨーク生まれのロバート キャンベル氏が来日したのは1985年。以来、日本文学研究者として業績を積み重ねる傍ら、芸術・メディア・思想などに心を寄せ、テレビでも番組MCやコメンテーターを務めるなど幅広く活躍してきた。

2021年4月には、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)の顧問に就任し、「国際文学」、「翻訳文学」にフォーカスした研究や表現活動に寄与するべく、新たなミッションに取り組んでいる。

一般に文学作品では、「人間」を描くための舞台装置として、まちの情景描写が行われる。では、近代の日本文学において、まちはどのように描かれているのか。キャンベル氏は、東京を舞台にした文学作品のアンソロジー『東京百年物語1 一八六八~一九〇九』(岩波書店・2018年)の編者を務めた経験から、このように持論を述べる。

「1987年に他界した文学研究者の前田愛は、『都市空間のなかの文学』という名著の中で、都市空間が日本の近代文学を考える上で非常に重要だと述べています。

例えば、永井荷風の『濹東綺譚』(ぼくとうきたん)では、小説家が浅草から隅田川を渡って玉の井という私娼街に通うのですが、夏になるとボウフラが湧いて蚊柱が立つんですね。それが、俳句の季語のような叙情性を醸し出している。私が持っている『濹東綺譚』の初版本には、永井荷風自身が玉の井で撮影した貴重な写真が掲載されています。“壺中の天*”(こちゅうのてん)のような別世界での、男女の細やかな交流を描いた作品ですが、初版本で読むと、変わりゆく東京の空間をスナップショットで切り取ったような作品であることが分かる訳です。

同じく永井荷風が書いた「監獄署の裏」という作品にも都市の描写があります。明治初期、東京の石川島と市ヶ谷に二つの監獄署が造られます。主人公は市ヶ谷の監獄署の裏手に住んでいるのですが、監獄署からは時折、坂を下って生活排水が流れてくる。坂の下には日の当たらない貧しいまち並みが広がり、荷風はその情景をひたすら描くことによって、貧しくもひしめきあって暮らす人々の生を描き出していきます。衛生水準が向上した現代の都市からは、完全に失われてしまった“匂い”が、この作品からは感じられます。

日本の文学における都市空間の描かれ方に、もし共通項があるとするならば、こうした匂いのような感覚的なものを通じて都市を追体験させる、その手法にあるのではないか。歴史の記録や新聞では追体験できない、直感的・感覚的な体験を通して都市を提示する。それが、日本文学に共通する特徴ではないかと思います」

*壺中の天:俗世間とは異なった別天地、別世界のこと。「壺(つぼ)の中の世界」の意で、転じて、酒を飲んでこの世の憂さを忘れる楽しみを指す。

キャンベル氏所蔵の永井荷風作『濹東綺譚』の初版本
荷風の俳句と共に、まちの姿がありありと描写され、叙情性を醸し出している。

新旧の文化が融合して新しい価値を生み出す

戦後、都市化の進展とともに、歴史的なまち並みや貴重な古民家も、老朽化や再開発で姿を消しつつある。それに伴い、日本古来の生活文化や風俗・慣習は急速に失われているように感じるが、キャンベル氏はこれに異を唱える。

「文化は生き物で、今あるものが“日本文化”だと捉えるのが研究者の立場。伝統文化と現代文化を二分化することには違和感を覚えます」と前置きしつつ、キャンベル氏はその現状をこう分析する。

「日本には、保存に成功している分野と、成功していない分野があります。成功していない分野の一つは、景観や建造物、つまり、まちそのもののインフラです。日本では戦後80年の間に、多くの貴重な文化資源が回復不能なまでに破壊され、変形させられてしまいました。一方で、工芸品や古い書物は非常によく保存されています。例えば、国文学研究資料館(国文研)では、他機関が所蔵する『源氏物語』54冊や『南総里見八犬伝』108冊などを含む30万タイトルに上ろうとしている画像データベースを運用しています。正確な数字は未確定ですが、江戸時代以前に制作された書物が何百万冊も現存しています。これほどの書物を保管している国は、北東アジアでは日本が唯一と言っていいと思います」

早稲田大学国際文学館
2021年10月、早稲田大学キャンパスにオープンした。別名「村上春樹ライブラリー」と呼ばれ、「村上春樹文学」、「国際文学」、「翻訳文学」の研究や新しい表現活動の展開に寄与するための施設である。村上春樹作品や海外で出版された翻訳書(50言語以上)、村上氏から寄贈・寄託を受けた執筆関係書類や書簡、さらには村上氏が蒐集したレコードなどが収蔵されている。設計は世界的な建築家である隈研吾氏が手掛けており、建物の随所には村上氏の世界観を体感できる工夫が施されている。
参考:早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)
https://www.waseda.jp/culture/wihl/

もちろん、文化において、伝統と革新とは二項対立ではない。アートやものづくりの最前線では、新旧の文化を融合させることによって新しい美や価値の創造をめざす、絶えざる試みが続けられている。

その一例として、キャンベル氏は、ファッションブランド「ANREALAGE」(アンリアレイジ)を主宰するデザイナー・森永邦彦氏を挙げる。森永氏は、2022年春夏パリコレで、細田守監督作品『竜とそばかすの姫』との大胆なコラボレーションを実現した。アニメやCGと実写映像を融合させ、仮想と現実が交錯するそのデジタルコレクションは、YouTubeで全世界に配信され、大きな反響を呼んだ。

「アニメや最新のデータサイエンスを採り入れた森永さんのショーは、ファッションだけにこだわっていては生まれないものです。その発想や世界観は、完全に明治以前の日本の感覚と重なるものなんですね。その感覚があるからこそ、ファッションという領域を超えて、より広く自在なコラボレーションができる訳です」

だからこそ「伝統文化が消滅しつつある」とは考えていない、とキャンベル氏は言う。その一方で、日本の職人文化の継承については、懸念を抱いている。

例えば、日本の伝統色は優に1,000を超えるといわれ、TPOや身分・性別によってさまざまな使い分けが行われていた。江戸時代も後期になると、幕府の奢侈(しゃし)禁止令*により着物の色は「茶色・鼠色・藍色」に集約され、3色の中で微妙な色合いの変化を楽しむ工夫が生まれた。それを物語るのが、茶色は48種類、鼠色は100種類あることを表す、「四十八茶百鼠」という言葉である。

「ところが、日本で使われる色名は減り、染色工房の職人さんも、色の使い方がわからなくなっている。例えば、どういうときにどんな色がふさわしいのか、この色に少し赤みを加えると、その意味がどう変わるのか。建物の外壁をどんな色にすると、住む人が元気になるのか、あるいは心が落ち着くのか。そうした知識が失われつつある訳です。かつては黄八丈といえば、商店で働く未婚女性が着るものと決まっていた。いうなれば、色と名前と感覚が、特定の記号化されたものと結びついていた訳です」

*奢侈禁止令:贅沢(奢侈)を禁止して倹約を推奨・強制するための法令および命令の一群のこと。

施策の成果がどのように広がり、何を生み出すのか

昨今、各地の自治体では、地域の人々が幸福を感じられる「Well-Beingなまちづくり」をめざす動きが広がっている。こうしたまちづくりを進める上で、欠かせないのが「豊かな地域文化の醸成」である。

それでは、まちの文化の充実度を測るための指標としては、どのようなものが考えられるのか。

「評価の指標を設定するにあたっては、それがもたらした影響や広がりまで、視野に入れる必要があると思います。これまで、日本の自治体やデータ集積機関には、情報をアーカイブ化して提供すればよしとするところがありました。しかし、予算を付けてコミュニティと文化のテコ入れを図るためには、それが資源としてどのように活用され、ほかの表現や価値、経済的活動、人材育成に寄与したのかを、定量的に把握しなければなりません」

どのように人材を育成するのか、それがどの程度、個人のキャリアパス形成を助け、子育てや地域との関わりにどのような影響をもたらしたのか。それを短期的な成果としてみるだけでなく、数年単位で追跡していくことが重要である、とキャンベル氏は言う。「コミュニティの中で何らかの取り組みをしたとき、その成果がどのように広がり、そこから何が生まれるのか。その影響が栄養分となって川下へ、さらには沖合の海へと流れ出したとき、そこではどのような生態系がつくり出されるのか。それらをすべて捉えることは、難しいことではありますが、とても重要だと思います」

こうした取り組みの一例が、キャンベル氏が館長を務めた国文研での活動だ。国文研では、資源活用推進室と社会連携推進室を新設し、半世紀にわたって積み上げてきたデータや知見、世界的ネットワークを、地域の人々が活用できるようにする体制を構築した。さらに、欧米で導入が進む「アーティスト・イン・レジデンス」を開設し、外部のアーティストと協働して、情報発信や作品制作をしてもらうための仕組みを整えた。

この活動には、小説家の川上弘美氏やアニメーション作家の山村浩二氏、劇作家・演出家の長塚圭史氏などが参加した。また、翻訳者に3年ほど滞在してもらい、日本ではほとんど知られていない、桃山時代の貴重な歌集を英訳してもらった、とキャンベル氏は語る。

「異なる職能を持つ外部の人材と協働することで、“国文研の活動を外に伝える”と同時に、“ここにあるものの面白さ”を内部の人に気付いてもらう。そんな酵母菌のような役割を果たしてもらうことが重要だと思うのです」

定性的な指標も設定し、主観を交えて評価する

こうした取り組みが地域にどのような価値をもたらしたのかを、測定・評価することは容易ではない。そのためには、まちづくりに関わる人々が、目標を持って生き生きと活動し、新しい価値を創造できているのかどうかを、しっかりと評価していく必要がある。そのためには、数値的な指標に加えて定性的な指標も設定し、アンケートなどの手法も交えて評価していくことが重要だ、とキャンベル氏は語る。

「定性的な指標による評価は難しいといわれますが、こと文化に関する限り、クリック数やビュー数、引用数などの指標が必ずしもマッチする訳ではない。主観的で曖昧だから根拠がない、と決めつけず、比較可能な指標やノウハウをしっかりとつくることが重要です。『あの人がハッピーになった』という物語を並べるだけでは説得力がないですし、『公民館で詩吟や日本舞踊を楽しんだら幸福度が上がった』と言われても、公民館に行ったことのない人にとっては何の価値もないでしょう。生き生きと何かに没頭している人たちの姿を見て、ほかの人たちが何かを感じるきっかけとなれば、それが職業につながるかもしれないし、若い人たちが『ここに移住したい』と思うかもしれない。こうした効用をもたらす指標の設定が必要です」

とはいえ、さまざまな価値観を持つ人々が集まるまちづくりの現場では、合意形成はなかなか難しい。特に従来の枠組みを変えるとなると、さまざまなあつれきが発生するので、それを克服するための工夫が必要だとキャンベル氏は言う。

「新しいことをするときには必ず対立が起こるので、単に『こんなに生き生きとしている人がいる』というエピソードを集めるだけでは、対立を克服するのは難しい。政治や世論を動かすのは、リアルな人の顔や人柄、生の声です。『こういう人たちが関わることで、まちが豊かになった』ということを、顔が見える形で発信し、かつ、おし広げられるような形をつくっていく。

もう一つは、“外の人の視点”をうまく活用することです。地域の文化資源が、外から来た人たちの目にはどう映るのか。それを測る指標をつくり、アンケートで満足度を測る。これは、地元の人には意外に説得力を発揮するので、うまく採り入れていただければと思います」

キャンベル氏との話を通じて、「Well-Beingなまちづくり」への関心が高まる中、地域の文化資源の充実は、避けては通れない課題となりつつあると感じられた。文化の豊かさを測る指標をいかに設定し、住民が幸福感を得られるまちをつくっていくのか。それがまちづくりの成否の鍵を握る重要なポイントと言えるのではないだろうか。