アドバイザー活動紹介

「木の国」日本の伝統建築に学び直し
サステナブルなまちづくりをめざす

新型コロナウイルス感染症の流行でワークスタイルやライフスタイルの変革が加速している。デジタル化とパンデミックは、未曽有といってもよいほどの変化を人類にもたらしつつある。こうした中、建築やまちづくりはどのような方向に向かうのか。人々の生活環境や居住環境に、いかなるパラダイムシフトを起こしつつあるのか。コンクリートや鉄に代わる新たな素材の探求を通じ、サステナブルな建築・まちづくりのあり方を追求する建築家の隈研吾氏に話を聞いた。
(取材時期:2021年5月)

目次

建築家、東京大学特別教授・名誉教授
隈 研吾氏

建築家、東京大学特別教授・名誉教授。高知県林業大学校校長。岐阜県立森林文化アカデミー特別招聘(しょうへい)教授。1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。木材を使うなど「和」をイメージしたデザインで国内外から高く評価されている。

「箱の中」から出ないかぎり 人類は生き続けられない

昨年来のコロナ禍の影響により、世界的な建築家として活躍する隈氏もリモートワークを実践している。自宅周辺で過ごす“新しい日常”は、隈氏の建築観やまちづくり観にも、少なからぬ変化をもたらしたという。

「自分のまちを徹底的に歩きましたね。私が住んでいるまちは迷宮的な入れ子構造になっていて、歩いているといろいろなものが見つかる場所なのです。そんなこともあって、自分自身の建築やまちに対する考え方を整理するのにとても役立った。それまで直感的に感じていたことを、きちんと論理的に整理することにつながったのです」

例えば、隈氏が以前から提唱してきたコンセプトの一つに、「箱からの脱却」がある。「狩猟採集や農耕の時代を経て、20世紀に工業化が始まると、都市への人口集中が進みました。都市とはいわば『箱(建築物)』の集合体であり、その箱がどんどん大きくなるという形で進化を遂げていったのです。ところが、人間は都市をつくるにあたり、『箱の中』の環境だけを制御して、『箱の外』は一切ケアしないというやり方を続けてきました。その結果、すべての負荷が『箱の外』に排出されて、環境がどんどん悪化し、自己回復力を失って負の循環に入っていった。それが、現代の環境問題の本質だと思います」

人々は、「箱の中」から排出したものがどんなに環境を破壊しても、大いなる地球がすべてを受容し、浄化してくれる――という甘い幻想を抱き続けてきた。だが、「箱の外」の世界は、そうした自浄力を失いつつあり、温暖化による気候変動リスクも深刻化し、我々は環境問題と抜本的に対峙する時期にきている。

「それを打ち破るためには、『箱の中』で生活するという従来のスタイルを一度疑い、新しい建築や都市のあり方を真剣に考えなければならない。そうしない限り、人類がサステナブルに生き続けることは不可能な時代になったと思うのです」

それでは、具体的にどのような視点を取り入れれば、「箱の中」の発想から脱却して、サステナブルなまちづくりを実践できるのだろうか。隈氏は次のように説明する。

「従来のまちづくりの基本となっていたのが、『いかにして人間を集中させるか』という集中化の考え方でした。そのためには、『建物をより高層化し、建物の内と外を完璧に区画する必要がある』といったように、すべてが集中化を前提にデザインされてきたわけです。

しかし、これからは、集中化へと向かうベクトルを逆転させる方法を、我々は探求していかなければなりません。そのためには、箱を巨大化する、あるいは高層化するという考え方をいったん否定し、『内』と『外』との境界を、定義し直す必要があります。さらに言えば、そもそも室内の空間と室外の空間を本当に区画する必要があるのか、という原点にまで立ち返って、我々は定義し直さなければならないと思うのです」

サステナブルなまちづくりの可能性を秘めた日本の伝統建築

建築史において「内」と「外」との分断を決定づけたのが、建築素材としてのコンクリートの普及であった。コンクリートは人間を「箱」の中に閉じ込め、自然の脅威から人間を守ると同時に、人間と自然とを分断する役割も果たした。

その対極に位置していたのが、日本の伝統建築である。日本古来の木造建築は、四季折々の自然を室内に取り込むことによって、「内」と「外」が溶け合う独特の居住空間をつくり上げてきた。

「日本の伝統建築は、西洋建築がめざした“集中化”の思想に対する、ある種のオルタナティブな立ち位置だったといえるかもしれません。日本列島という非常に狭い国土の中で、循環型社会をつくり上げるために、日本人は試行錯誤を重ねてきました。平地が少ないという悪条件を克服して居住空間を確保するために、『縁側』や『庇(ひさし)』、『路地』といった、日本独自の空間デザインが育まれてきた。こうした知恵は、コロナ後の我々のまちづくりにとっても、大変参考になるのではないか。日本の風土の中で培われたさまざまな知恵が、再び復活してくるのではないかと思います」

「日本の伝統建築に学ぶことができるのは、居住空間のデザインだけではない。日本独自の木造建築の工法もまた、サステナブルなまちづくりの大きな可能性を秘めている」と隈氏は言う。

「循環型社会を成立させるため、日本人は『木』という素材を最大限に利用してきました。森の木を伐って建物をつくり、伐った分はまた植えて育てるというサイクルを通じて、森とまちとの間に継続的な自然循環が成り立っていたわけです。その中に、これからのまちづくりに役立つ数多くのヒントが隠されているということも、最近ようやく分かってきた。

また、環境問題の観点からも、『木を使うことで二酸化炭素の排出が抑制され、地球温暖化の防止につながる』ことが科学的に解明されつつあります。その意味でも、『木の都市』をつくるということは、単なるノスタルジーにとどまらない、科学的な裏づけに基づいた取り組みだと僕は考えています」

2022年、歩いて楽しいウォーカブルな東川町(北海道)にリモートオフィスを開設

「箱の中」の発想から脱却して、日本の伝統建築に学び、「木の都市」をつくる――。

こうした考え方に基づき、隈氏は目下、国内外で200件超のプロジェクトを担当。そのすべてにおいて、「建築によるサステナビリティの実現」をめざし、木を使った建築・空間のデザインに取り組んでいる。

その一つが、2022年に北海道上川郡の東川町に、隈研吾建築都市設計事務所のリモートオフィスを開設するプロジェクトだ。大雪山の雄大な自然景観と温泉に恵まれた同町は、優れた家具職人が集う「旭川家具」の主要生産地でもある。昨年末、同町は世界に向けて新しい家具のあり方を発信するべく、隈氏と共に『KAGUデザインコンペ』を立ち上げた。

「全国の地方都市の中でも、東川町が面白いと思ったのは、自然に恵まれているだけでなく、まちの中心部に“歩いて楽しいウォーカブルな道”があるためです。得てして『自然が美しい』といわれるまちは、一つ一つの場所が離れすぎていて、車でなければ移動が難しいところが多い。ところが東川町は、中心部が非常にコンパクトで、雄大な自然が近くにあるのに、徒歩でも生活できるまちなのです。それが、東川町に新たな事務所をつくる決め手となりました」

東川町では、家具職人が構造的強度の高い家具を製作し、“耐震壁”をつくる試みも行っている。

「日本の伝統的な木造住宅では、土壁や障子、ふすまなどの建具が耐震要素になっていたということが、最近の研究で分かってきています。その意味で、家具を耐震要素にするという思想は、日本の伝統住宅の延長上にあるといってもいい。それもまた、サステナブルな建築を実践するための手法として、提案できるのではないかと考えています」

隈研吾の建築を進化させた「インスタ映え」のインパクト

こうした新しいまちづくりにおいて、隈氏はICTにもさまざまな役割を期待しているという。

「まちを楽しくワクワクする場所に変えるという意味で、ICTにはさまざまな可能性があると思います。今までのICTは、どちらかといえば、家の中にこもって楽しむという形をとることが多かった。しかし、これからはICTがまちを歩く動機を提供し、ICT自体も『箱』から外に出ることが重要だと思います」

さらに、「『まち同士をつないでいく』意味でもICTは役に立つ」と隈氏は続ける。従来、まちとまちの交流は、自治体や大企業が主体となって進められてきた。だが、これからのICTは、住民同士が自発的・自律的につながるための強力な支援ツールになりうる、と指摘する。

「今回のコロナ禍で、あらためて『移動』の再定義が重要になっているような気がします。これまで移動といえば、都市から郊外へ移動してリゾートに行く、というパターンしか存在しなかった。しかし、これからは、自分の拠点をいくつか持ち、多拠点間を移動して自分なりのネットワークをつくっていく時代になる。僕自身が東京と東川町の事務所をつなげることができるのも、まさにICTのおかげですし、そういう働き方を実践する上で、ICTのサポートは絶対に必要になる。我々が移動しながら、現在のスタイルで仕事を続け、生活を楽しむことを可能にしてくれるのが、ICTの力だと思うのです」

加えて、ICTの進化は、建築の美意識さえも否応なく変えつつある。その代表例は、インスタグラムが視覚にもたらすインパクトだ。

「近年、『インスタ映えする建築をつくらないと、お客さんが来ない、まちが元気にならない』といわれるようになり、建築に向けられる人々の美意識も変わり始めています。

僕の建築も、インスタグラムやSNSの登場後、小さいものが集積したデザインへと変化していきました。従来のようなのっぺりした壁だと、インスタグラムでどこを撮っても同じ絵にしかならない。ところが、インスタグラムには『建築の一部を撮影しただけで、建物の特徴を捉えられる』という面白い性質があり、小さい要素が組み合わさった“粒子の建築”は非常にインスタ映えするんですね。僕の建築が現在の方向へと進化したことは、SNSの発達と並行関係にあると考えています」

現在、隈氏は、緑化事業を手掛ける企業との共催で、「地球のOS書き換えプロジェクト」と題した計画に取り組んでいる。これは、日本各地をネットワークでつなぎ、自然と共生しながら、Withコロナ時代にふさわしい新たなライフスタイルを模索する実験的プロジェクトである。その立ち上げに向けて、今秋から全国各地をつなぎ、移動するイベントを開催する計画だ。

2020年には、SSPPのアドバイザーに就任した。隈氏は各分野の専門家と連携しながら、新しいまちづくりの可能性を模索している。

「これからのまちづくりにおいて、ICTは大きな可能性を秘めています。SSPPがICT業界とコラボする“場”となり、僕らのアイデアを現実の都市に落とし込んでいくためのプラットフォームになることを期待しています」